名古屋の白ウサギ・1964年生・

自称、宗教家・宗教家は、職業ではなく「生き方」です。
職業・会社員

水の分配

2012-11-24 | 思う事


私の家には大量の 水 が備蓄されている
20ℓ のポリ容器が10本  計、200ℓ の水道水を常時保管している

災害があったときの為である
一年に一回くらいは中の水を新しいものに入れ替えているが
災害があったとき このままの状態で飲料水にしたら
たぶん、お腹を壊すだろう

飲料用の水はこれとは別に
ポリタンクに入れ 40ℓ確保してある
飲料用は
光の当たる所に置いておけば、3年間は腐らないという
特殊な容器に入れてある
10年以上前に買った物だが
結構な値段だったような気がする
確か、1個、5千円位したと思う
そのときは、保険だと思って
思い切って買った記憶がある



災害時、もしこの水が底を尽きたら

普通の容器に入れてある 200ℓの水を
よく煮沸して飲めば、生き延びる事ができる
そういう事態も考えて
カセットコンロも十分備蓄している

ここまでやれば、どんな災害が発生しても
しばらくの間は、大きな不自由はないだろう

災害が起きるとよく耳にする言葉

「 国は何もしてくれない、 」

「 自治体の対応が悪い、水がなかなか配給されない 」

「 被災者を見捨てる気か!!! 」


こう言った言葉を耳にするたびに思う

自分の身は自分で守るのが基本

身体に障害があったり
年老いていたり
そうった弱者の方は
自分ではどうにもならないのだから
国や、自治体を頼りにするしか方法はない

でも、健常者が「イザというときは必ず国が助けてくれる」
などと思っているのはオカシイ気がする

勿論、国や、自治体は災害があれば可能な限り
被災者援助をおこなうだろう

でも、完璧な援助など物理的に不可能
迅速、完璧、な支援を期待しているなら
それは考えが甘すぎる

何事も、基本的には 自己責任
想定できる事に対しては
出来る限りの対策を講じるべきであると思う
自分の身は自分で守る
という前提で備えをすべきだと思っている

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もし、大災害が起きて断水して、水がまったく配給されなかったとする

まず、我が家の必要な水は確保されているから問題ない
200ℓの備蓄があるので
他の、人にも分けてあげなければならない

量に限りがある
少しづつ、多くの人に差し上げるのが一番良いが
それをやったら際限がなくなる
みんな平等に などと言っていたら
分配される一人頭の量は限りなく微量となる
これでは共倒れになるだけ

配る相手を限定せざるを得ない

誰に差し上げるか・・・

優先順位としては
私が思うに

①  自分の親、兄弟、親戚といった身近な身内、
  弱者(他人であったとしても)

②    恩がある知人

③    仲の良い知人

④    些細な繋がりでも、自分と縁がある人

優先すべきと思えるのは 強い縁 のある人と弱者、

それでも余裕があれば、隣の家の人とか
同じ仕事の人間とか ホンの少しでも 縁 がある人


① に当てはまる人間でも 何らかの事情があり、心情としては
「この人にはあげたくない」と思える人間がいるかも知れない
でも、
道理として基本的にはこの順位を崩してはいけないとおもう

水の分配順位は 
私の 基本的な物の考え方でもある
宗教では
全ての人間に対して 愛を持ちなさい と言いますが

私が思うに、世の中の人すべてが
それぞれの
縁 という見えない枠組みをもち

その中で個別の 輪 を形成している

大きな視点で 愛を持ちなさい という意味は分かるけれど

それは、最低限の前提として

「 自分を取り巻く 縁 という枠組み」

 を重視した上で必要な事と思える

縁という枠組み を重要視せず、
国家、世界、人類、などと大きな視点を重要視する
物の考え方は
何か重大な欠陥があるような気がする

この、基本を固めずして
国家、世界、人類 、平和 を語る事は
恥ずかしい行為に思えてならない

どんな 些細な 縁 でも
縁 を一番大切にしたい

 

このブログに表示される広告サイトは当方とは一切関係ありません


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする