名古屋の白ウサギ・1964年生・

自称、宗教家・宗教家は、職業ではなく「生き方」です。
職業・会社員

損得勘定で生きています。

2015-09-13 | 思う事

わたしは、20代の頃までは、
「 立派な人間になりたい 」といつも思っていた。

今年51歳となった・・・
今現在の私は、立派な人間になろうなどとは、
一切思っていない。

それ故、プライドなど可能な限り捨てるべきだと思っている。

そんな漠然とした抽象的な願望より、
自分の行為や、言葉、願望に対して、
それが自分にとって損か? 得か?
その判断のみで生きている。


***不平不満や愚痴を言って得をする事があるか?
答・・・得することは無い。
更なる不遇を引き寄せる。

***裏切り行為をして、得することはあるか?
答え・・・無い。
後から利子が付いて帰ってくる。

***陰湿な手段でライバルの足を引っ張って
勝利して得することはあるか?
答・・・無い。
いつか、自分も同じ土俵に引きずり込まれる。

***ギヤンブルをして、得することはあるか?
答・・・絶対に無い。
勝っても、負けても、最終的には損をする。

***ズルイ手段で、自分だけ楽をしたり、
儲けたりして、得をする事はあるか?
答・・・無い。
その場は良くても、後からツケが回ってくる。

***ひとに意地悪をして得することはあるか?
答・・・無い。
そんなことしてたら、同じ類の人間は寄って来るが、
自分に必要な人間は寄ってこない。

***苦しみ悶えている人に対して、知らぬフリをして、
得することはあるか?
答・・・無い。
誰も咎めはしないが、自分は全てを知っている。

**家族が殺されそうになったとき、自分だけ逃げて得をするか?
答・・・無い。
死ぬまで後悔する。

***畑になっているスイカを盗んで食べたら得をするか?
答・・・お縄になるだけ。

立派な人間になろうとするより、
何が自分にとって何が 「 得 」なのか?
何が自分にとって何が 「 損 」なのか?
この判断のほうが大切であると感じる。
要するに、これ、「 損得勘定 」

損得勘定をするための物差(基準)こそが、
結果や、成果などに左右されない、
自分の「 真の価値 」であると思ってます。

 
コメント
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