新渡戸稲造著・奈良本辰也訳
・・・武士道・・・より抜粋
神道の教理には「 原罪 」
という教義が入り込む余地はまったくない。
それとは逆に、人間の魂の生来の
善性と神にも似た清浄性を信じ、
魂を、神の意志が宿る至聖のところとして
崇拝する。
神社の霊廟には礼拝の
対象物や器具がいちじるしくとぼしく、
本殿にかかげてある装飾のない、
一枚の鏡が神具の主たるものである。
この鏡の存在理由はたやすく
説明することができる。
つまり鏡は人間の心の表象である。
心が完全に落ち着き、清明であるとき、
そこには「 神 」の姿を見ることができる。
それゆえ参拝のために社殿の前にたつとき、
輝く鏡の面におのれ自身の姿を見るのである。
そして参拝という行為は、
かのいにしえのデルフィの神託
「 おのれ自身をしれ」
に通じるのである。
以上・・・・・・武士道・・・より抜粋