・定子中宮は宵に入って、
やや立ちはじめた涼風に、
ほっとくつろいでおられる
宰相の君に物語を読ませられ、
聞きいっていられるところだった
私が参上したのを、
中宮はめざとくご覧になって、
「この物語はつまらないわ
みな、どこかで聞いたような、
場面ばかりですもの・・・
少納言、あなたのおしゃべりは、
面白いのだから即興に思いつくまま、
作り話をしてごらんなさい」
と思いかけぬことを、
仰せられる
「とんでもございません、
とても、そんな・・・」
「いいえ、あなたの話はいつも、
描写力があって、聞いていて、
ほんとに・・・
と思いあたることが多いのですもの」
「まあ、どうでございましょうか
わたくし自身では気が付かないので、
ございますが・・・」
と私がいうと、
右衛門の君は意地悪くいう
「ほらほら、
少納言さんはその気になって、
顔がほころびていますよ」
みんな笑って、
中宮さまも面白がられて、
「いつも、
『宇津保』や『竹取』の、
評釈ばかりではつまらないのだもの
『草は』『虫は』『遊びは』
の『ものはづけ』も、
しつくした気がするわ
さあ、何でもいいから・・・」
「いいえ、
物語など、とてもそんな」
そこへ、
主上がお渡りになります、
の声
主上(一条帝)は、
お見上げするたびにりりしく、
けだかくなりまさっていられる
おん年十六歳
日々、お背もたかくなられ、
お体つきもしっかりしていかれる
はじめてお目通りを許されたころの、
美少年にみまほしい、
やさしげなお姿のおもかげは、
もうない
しかしご表情が、
落ち着いてやわらかく、
やさしげでいられながら、
威厳がおありになるのは、
いまも同じだった
中宮は故父関白のおんために、
毎月、忌日の十日に法要を、
いとなまれる
九月十日のご供養は、
職の御曹司で行われた
上達部や殿上人が、
おびただしく参集した
法要が果て、
宴となる
酒がめぐって、
詩を誦する者が出てきた時、
頭の中将の斉信の君が、
すばらしい詩を、
はりつめた美声で朗誦された
「彼の金谷に花に酔ひし地
花春毎に匂うて主帰らず
南楼に月を弄びし人
月、秋と期して身、
何くにか去る」
し~んとするほどの感激で、
私は涙を拭き拭き、
人々をかきわけ、
中宮のお側へ近寄ろうとした
「身、何くにか去る」
人はどこへ消えていくのか、
故関白どののあの笑顔、
やりばのない悲しみが、
斉信の君の朗詠で、
快い情感に溶け、
こういうのをこそ、
陶酔というのであろうと、
中宮に申し上げたいのだった
中宮は膝をすすめていられ、
私の近寄るのを、
期待していられるさまだった
「きっと、
少納言が感激する、
と思ったわ」
とまずいわれる
いちいち申しあげないけれど、
私はふとした折々の、
面白いという感懐を、
再び草子に書きとどめはじめた
それは中宮に、
お見せしようという心で、
熱が入ってゆくのだった
いつか中宮も仰せられた
「書くのよ
そんなはかない折々の思い出は、
書きとめておかないと、
すぐ忘れてよ」
と
人の美しさ
自然の美しさ
このおもしろさを、
中宮でなくて、
誰にわかって頂けようかと、
私は草子に書きつぐ・・・
心の中で訴えつづける・・・
(了)