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・この頃は、
お節料理もデパートで誂らえるらしい
私もこの年齢になり、
何から何まで作るのは億劫で、
今年こそはデパートか料理屋に、
頼もうかと思うが、
出来合いのものでは、
いかにも不味そうな気がして、
つい自分でこまごまやってしまう
それというのも、
自分一人で食べるのでなく、
正月にはそれなりに、
客が来るからである
英会話仲間の人たちや、
油絵仲間に加え、
昔の人たちが、
昔ながらに挨拶に来る
昔、船場にいたころ、
奉公していた女中衆(おなごし)の、
お政やおトキ、
二人とも上女中で七、八年ウチにおり、
姑たちが親代わりになって、
嫁入支度も作って嫁入らせた
そのころは、
お政どん、
おトキどん、
といっていた
番頭の前沢も来る
みなもういいトシになっているが、
お政どんは、
長男が幼稚園に通っていたころ、
いつもついていってくれた人である
だから頭の禿げた、
五十二の長男をつかまえて今も、
「大ぼんちゃん」
と呼び、次男は、
「中ぼんちゃん」
で、三男は、
「小ぼんちゃん」
である
中でも長男は、
とりわけ面倒を見たので、
情味は格別らしく、
長男には特に、
「ぼんぼん」
と呼んだりする
昔、船場の店にいたころ、
昭和二十年六月八日の戦災で、
店が焼けるまでいてくれた人たちが、
来るのである
中番頭の為吉っとんは、
ずっと来てくれていたが、
先年、病気して死んでしまった
あとは兵隊に取られて、
戦死したり、
田舎へ戻ったり
今、長男の会社にいる専務も常務も、
戦後の人間で、
戦前の船場の店を知らない
知らないといえば、
サナエも知らないわけである
お政やおトキ、
前沢番頭のほかは、
昔ばなしも出来なくなってしまった
そういう人たちが、
楽しみに私のところへ、
集まってくるので、
一応の正月支度はしなければいけない
今年は家政婦が、
九州の田舎へ帰るというので、
(しようがない
一人でぼつぼつやろうかしら)
と思っていた
この頃は車のついた買物籠もあるから、
ゆるゆる曳いて帰れば、
重い目もせずにすむ
マンションの一階には数段、
階段があるが、
これはモタモタしていると、
必ず誰かが持ち上げて、
エレベーターまで運んでくれる
この間など、
かかりつけのお医者、
大川橋蔵に似た若先生が通りかかり、
「あっ、おばあちゃん、
僕がしたげる」
と持ってくれた
その上、
「大変ですね、
一人で買い物して・・・」
といってくれる
お歳暮に舶来ウィスキーを、
はずんでおいてよかったこと
「はい、
もう何ですか、
外へ出るのも、
食べ物を作って一人食べるのも、
億劫になりまして、
これではいけないと思って、
気を引き立て、
一生けんめいやっていますのよ
何しろトシでございますから」
私は若先生に向かって、
一人暮らしの老女のいじらしさ、
哀れさをにじませつつ、
淋しく笑う
橋蔵先生は、
若々しい顔に同情の色を浮かべ、
「そら大変やろうけど、
そうやって気を引き立てて、
仕事をするのも老化を防ぐ方法です
体は遊ばさず、
ホドホドに使うたほうがよろし」
と噛んでふくめるように教え、
「ま、何かあったら、
すぐいうて来なさいよ
年末年始は休診やけど、
裏の家へいうてきてもろたらええから
おばあちゃんは別やさかいね
お正月はモチなんか、
のどへつめんように
風邪ひかんように」
「はい
ありがとうございます
よう、気ぃつけますわ
何かあったら、
よろしくお願いします」
若先生は私がエレベーターに、
乗り込むまでボタンを、
押しつづけてくれていた
誰がモチなんか、
のどにつめますかいな、
モウロクの細木老人なら、
知らんけど
私は部屋へ帰ると、
大車輪で買物をぶちまけ、
エプロンをつけ腕まくりして、
(さあ、
アホ嫁のスカタン黒豆とは、
一味も二味も違う、
正真正銘の黒豆を煮いてやろ)
と勇み立つのである
風邪なんかひいてる、
ヒマなんかあるもんか
暮れも押し迫ってから、
サナエが、
「お手伝いに上がりましょうか」
といってくれたので、
今年は自分で買物をすることは、
免れた
サナエは、
三十日に買物と掃除をしてくれ、
三十一日の朝早くから来て、
私の指図するままに、
野菜を切ったり洗ったり、
注文してあったものを取りに行ったり、
よく働いてくれる
さすがに私に比べると、
六十歳はいかにも若い
この若さを感謝すればいいのに、
サナエは例のごとく、
眉間にしわよせ、
「奥さま、
水子供養は大切なんですよ、
このマンションの裏山に、
水子地蔵がありますけど、
お正月には拝まれた方が、
ええことありませんか」
などという
竹下夫人の「天地生成会」は、
「ブー」と「テー」で、
何となく陽気であるが、
サナエのは何となく陰気である
「いえ、
陰気というのではありませんけど、
あたし、『水子霊教』の会へいって、
ちょいちょいお供養して頂いてる、
ものですから」
へんな会もあるものだ
「ブー」と「テー」も、
いいかげんなものであるが、
「水子」の話を聞きつつ作る、
お煮しめもいかがなものであろうか
お煮しめが水っぽくなるような気がする
私は話を変えようとして、
「新聞記事に、
『正月料理の野菜のうま煮を食べ』
というのがあったけど、
あれもへんな文章やったねえ
正月料理は『お節料理』というたもの、
『野菜のうま煮』は『お煮しめ』
というに決まったもの、
新聞記事を書くのも、
それを調べるのも
男やから、
そういうへんなこと書くのかしらん」
「それもきっと、
その記者についている、
供養されへん水子の霊が、
そういう間違いを書かせたのと、
ちゃいますか」
サナエは包丁をおいて、
声をひそめ、
「病気も不幸も、
水子を供養すると、
なおるんやそうですよ」
それは結構なことだ
何でもよい、
そう思っていれば救われるのだ
さしずめサナエなどは、
水子を供養して、
眉間のしわをとってもらうように、
すればいい
黒豆のしわは結構だが、
女の眉間のしわは頂けない
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(次回へ)