むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

3、紫 ⑧

2023年08月02日 09時11分00秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・少納言は早朝の源氏の訪れ、
ずんずん奥へはいるので、
少し迷惑に思った。

姫君は無心に眠っていた。

源氏が抱き起こすと、
寝ぼけてお父さまがお迎えにいらしたのか、
と思っているらしい。

源氏は姫君の髪をかきあげて、

「さあ、いらっしゃい」

というと、
はじめて姫君は父宮でないと気づき、
びっくりして怖がる。

「弱ったな・・・
私も父宮も、同じことなのに、さあ」

と無理やり姫君を抱きあげて、
寝所を出ると、
惟光も少納言も驚いて、

「やや、これは・・・」

「どう遊ばすおつもりでございます」

と同時にいった。

「私の邸にお連れする。
父宮のもとへいらしたら、
もうお目にかかれなくなってしまうから。
誰か一人、ついてくるがいい」

「お待ち下さいまし、
お父宮がお見えになったら、
どう申し上げていいやら、
私どもが困ります」

少納言は狼狽してとりすがった。

「よし、それならあとでまいれ」

源氏はかまわず車を寄せさせて、
姫君を抱いて乗り込む。

少納言はおろおろするばかりであったが、
仕方なく、昨夜縫い上げたばかりの、
姫君の衣装を持ち、
自身も急いで着替えをして、
車に乗った。

二條邸は近いので、
まだ夜が明けきらぬうちに着いた。

源氏は西の対に車をつけ、
姫君を抱いておろした。

少納言は夢でも見ている気がする。
呆然として、

「私はどうしたらよろしいのでございましょう」

というと、源氏は笑った。

「それは心まかせだ。
ともかく姫君はお連れしてきてしまったのだから、
君が帰りたいというなら送らせる」

少納言は仕方なく車をおりた。

父宮のお叱りも苦のたねであるが、
それ以上に姫君のゆくすえは、
どうなられることやら、
あわれで思わず涙がこぼれ、
不吉な、とわれとわが心をいましめて、
涙をこらえた。

西の対は普段使われていないので、
惟光を呼んで、
源氏は御張台や屏風を据えさせ、
東の対から夜具をとって来させて、
姫君と添い臥しをする。

姫君は心細くて泣き出し、
乳母は気が気でなく、
そば近く詰めて夜を明かした。

しかし明けゆくままに、
あたりを見廻して乳母はあっと思った。

御殿のありさま、
邸内のたたずまい、
目を奪うように善美を尽くしてあった。

源氏は洗面の道具や、
朝食なども、こちらへ運ばせる。

召使いたちは、

「いったいどなたをお連れしていらしたのか、
なみなみのご婦人ではあるまい」

などとささやき交わした。

「お仕えする女房たちをそろえなければ。
それに、遊び相手の小さな女の子も」

源氏はいって楽しそうである。

日が高くなってから、
源氏は姫君を起こし、
面白い絵や玩具などを取り寄せて、
少女の遊び相手になった。

姫君はやっと機嫌をなおした。

喪服の萎えたのを着て、
無邪気にほほえんでいるのが、
源氏には可愛く思える。

源氏は二、三日、宮中にも出仕せず、
紫の君をてなづけるのにかかっていた。

父宮は、
姫君が行方不明になられたのを、
悲しくお思いになった。

乳母がどこかへ隠しただろうと、
がっかりなさった。

継母の北の方も、
せっかく自分の手で育てようと、
いきごんでいられた所なので、
残念がっていられた。

そのころ、
姫君はすっかり源氏になついて、
源氏の膝に乗ったり、
ふところに抱かれて寝起きしていた。

源氏はこよない愛の対象が出来た思いで、
朝も夜も離れられない。






          


(了)

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