・昔、もう十年近く前、
はたちぐらいの則光は、
ほっそりとして長身で、
姿のいい男で、
どんな貴公子かと思ったものだ
せめてそれが取り柄であった
しかし今は、
体が重そうに肉がつき、
太っている
心に反して体はむくむく太り、
それもただ肥満しているだけでなく、
はちきれんばかりの活力を、
押し隠し力がありあまって、
むずむずしている
殿上人や、
やんごとない公達は、
三十前後で太っている人も、
ないではないがそういう人のは、
「清らかな肥満」
というべく上品さがある
色が白く、
高貴な面持ちをして、
いらっしゃるから、
ふっくらと見える
みやびやかに落ち着き、
太っていられるのまで、
美点になる
しかし則光は何としよう
ただもう、
やたら頑健な体つきになって、
殺しても死なないという、
憎々しい図体
肩の筋肉なんか盛り上がり、
太くてがっしりした首、
ぶあつく頑丈な胸板
そうして首の上に乗せた、
肉厚の童顔は、
紐のほどけたような、
心もとない表情を浮かべている
女房たちが気安く、
「則光」
と親しむはずである
尤も則光は、
女たちばかりでなく、
宮廷の男たちにも、
評判は悪くなく、
気受けはいいほうである
若いころの私は、
そういう則光が気に入らなかった
気に入らなくても、
父が則光を私の婿に決めたので、
仕方がない
あのころ、
則光とけんかばかりしていた
則光に新しい女ができて、
そっちの方に子供が生まれた
まあ、男は二人妻どころか、
三人四人、
やんごとないあたりなんか、
十何人もの妻をお持ちになる、
世間の風習だから、
下っ端役人の則光だって、
二人ぐらい持って悪い、
ということはないけれど、
私は我慢ならなかった
私はすべて、
「唯一人の人」
にならなければいやだ
「一番」
でなければ、
二番や三番なら、
死んだほうがましである
どこまでも「一の人」をめざす
年こそは私より、
一つ二つ上だけれど、
才智もなく、鈍い則光ごときが、
私のほかに女を一人持つなんて、
私の自尊心は堪えられない
結婚して則光に、
つくづく失望したのだけれど、
平均男性の水準ほどの、
文学的教養すらないのだ
(これじゃ話もできやしない)
と私は結婚して、
数日後にはがっかりしていた
則光は、
私がそう思っているとは、
知る由もなく私に夢中になっていた
「あの人、
ちっとも面白くないので困るわ」
私は父にいった
父はもう七十六歳であった
私は父が五十八のときの子である
おそくにできた末娘なので、
父は私を溺愛した
父は清原元輔といい、
官界よりも歌壇に名が高い
「後撰集」の撰者にも選ばれたが、
その輝かしい閲歴は、
私が生まれる前にすでに終わった
今でも折々は、
権門の家にお喜びごとがあると、
求められて儀礼的な祝い歌を、
作って奉ったりする
そういう父の栄誉は、
私の誇りであったが、
内緒でいうと、
家庭内の父は、
禿げ頭の面白い冗談をいう、
爺さんである
父は人を笑わせることがうまく、
それに肝の太い、
人を人と思わぬところがあった
それも悪辣、
したたかといった意味ではない
恵まれた歌才を自分でも、
もち扱いかねるほどでありながら、
公人としては微小な身分であった
官位は遅々として進まず、
年月は待ってくれなかった
父はそのうちに、
人生や人間に対して、
ある種の達観や、
開き直りを持ったらしい
父は官位こそ微禄卑小の身だが、
手だれの歌よみで、
洒脱で諧謔を弄する人、
と世間に思われるようになった
父のはじめの子供、
私にとっては長兄は、
私より二十以上も年上であった
姉も人に嫁して中年になっている
私とすぐ上の兄、致信を生んだ母は、
父にとって一番新しい妻であったが、
早くに亡くなっていて、
私は母の顔を知らなかった
そのせいでか、
父は末っ子の私を、
よけい可愛がった
「かわいい姫や」
というのが父の口ぐせで、
私が物ごころつくころには、
春の除目のたびに、
大騒動になっていた
春の除目は、
地方官の任命である
毎年のように、
「今年こそは、
運が向いて来られるかもしれない」
というので、
古い郎党たちが上洛してくる
人々は集まって、
「前祝いや」
といって、
果てしなく物を食い、
酒を飲み大気炎をあげる
それが三日続く
除目は三日にわたって行われる
三日目の晩までに、
任命の知らせがないと、
みんなきょときょとする
吉報の使者は門を叩かない
夜は明けてくる
そのうち見にやらせていた下男が、
詮議の果てた役所から帰ってくる
寒さと空腹と失望にやつれた、
その顔を見ると、
邸の人々は、
「どうだった?」
と聞く気さえおこらない
田舎から上ってきた郎党や、
馴染みの家来はがっかりして、
一人去り二人帰りして、
いつのまにか出ていく
取り巻きや親類は、
こそこそといなくなる
(次回へ)