むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「18」 ①

2024年11月17日 08時41分22秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・私はもう長いこと、
里下りをしている

しかもいま居る邸は、
世間には隠している

中宮の御前にも、

「知るべのもとへ・・・」

とだけ啓上して頂いている

式部の君や右衛門の君にも、

「しばらくお寺へ籠ったり、
知人の邸に身を寄せているから」

と言いつくろって、
私はひっそりと人知れぬ、
小さい邸に仮住まいしている

中宮はいま、
叔父君・明順(あきのぶ)どのの、
小二条邸にお身を寄せられている

あの騒動のあと、
奇っ怪なことに、
半月ばかりして、
中宮のおわす二条北宮が、
焼失してしまった

いつぞや、
あの宮で右衛門の君と、
寝ているところへ来た、
童女が、

「お邸が火事になるかもしれないって、
みんな噂して怖がっています」

と口走ったが、
危惧は的中し、
夏の一夜、二条北宮は、
不審火で焼け落ちてしまった

ご兄弟の災厄に、
追い打ちされるように、
火難に見舞われなすった中宮の、
お心持ちはどうだったであろう

中宮と母君・貴子の上を守って、
女房達は火の粉を浴びつつ、
命からがら近くの、
小二条邸へ逃げたとか

なぜ、都落ちした流人の留守宅は、
原因のわからぬ火災をおこすので、
あろうか

朝廷からは、
中宮に対して、
さまざまのお見舞い品が、
贈られたそうであるが、
火難よりも中宮のお心を、
曇らせたのは七月に、
大納言・公季(きんすえ)卿の、
姫君・義子姫が入内されて、
弘徽殿女御となられたことでは、
あるまいか

主上ははじめて、
定子中宮のほかの女御を、
納れられたわけである

その知らせを、
中宮はどうお聞きになっただろうか

伊周(これちか)内大臣どのらが、
失脚され流人となられるが早いか、
早くも後宮に新しい花が、
咲いたわけである

でも、私は一人じっと、
人知れぬところに籠り、
中宮のお側には、
近づかないでいる

あの後、
二条邸へ出仕すると、
女房たちの私に対する反応が、
異常だった

中宮はお具合が悪くて、
お臥せりになっていたし、
お目にかかれずじまい

中納言の君は当惑したように、
目をそらし、
宰相の君の私に挨拶しようと、
しない

小左京の君は、
物陰でそっと、

「わるいけどあなたと話すと、
誤解を受けるかもしれないので
私はあなたのことを、
決して左大臣(道長)派の方、
とは思っていないけれど・・・」

とばかはばかなりに、
正直である

道長の君は、
とうとう一の人になられ、
伊周の君たちの没落をよそに、
道長の君は栄えてゆかれる

私が道長の君の俊敏さを、
認めているのは事実だけれど、
しかしそちらに通じて、
中宮なり伊周の君を、
売るとか裏切るとか、
いったことは全くない

この薄幸なご一家に対する、
私の真情は神かけて、
うそ偽りのないものである

それなのに、
中宮の側近の女房たちは、
私を白い目で見る

「それはあなたが、
長徳二年五月一日の、
二条北宮に、
いなかったせいじゃない?」

と右衛門の君はいう

「あのとき、
あの場に居合わせなかった人と、
居合わせた人の間には、
もう永久に埋められない、
裂け目が出来たのよね
あなたはその場にいなかった、
それが致命傷ね」

右衛門の君は、
意地わるくいい、
なに、それは、
ただの意地わるなのである

私だってあの日、
偶然の運命で、
中宮のお側にいられなかっただけだ

「あのとき、
内大臣さまのお車は西南へ、
中納言さまのお車は西北へ、
追われていらっしゃる
邸中の泣き声はかしましいさまで、
高まったところへ、
中宮がお手ずから、
御髪を下ろされたときは、
みんな動転していったのね
このときのことは、
決して口外しますまい、
死ぬまで誰にも洩らしますまい
とかたい約束をしたの」

右衛門の君は、
勝ち誇ったようにいい、

「だからその場に、
いなかった人といた人とは、
どうしても気持ちが溶け合わないのは、
当然じゃないかしら」

それはつまり、
中宮のご寵愛も、
やがてはそれらの人々と、
部外者たる私は、
分け隔てがあられるだろうし、
そうなるのが当然、
という口ぶりだった






          


(次回へ)

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