・私たちの世代は、
暗い無菌培養の檻から自由な世界へ解き放たれたから、
幸せだったと思っている。
それにくらべ、
現代の若者は、もしかすると、
自由世界からこんどはあべこべに、
忌わしき鋳型の中へ追い込まれ、
日本の優越独善だけを信ずる土人形として、
次々、社会へ送り出されるのではないか、
鋳型人間の想像を絶する世界が、
そこに広がっていても、
とうてい信ずることは出来ず、
「そんなんウソやろ?」
「日本がそんなことするはずない」
と言い続けているかもしれないのだ。
前車の覆るは後車のいましめ、
というのはこういうことをいうのである。
今の時代は、そんな素朴なことはない、
情報量の多さは半世紀昔とくらべものにならない、
と言う人もあるかもしれないが、
それは人の心の奥深い幻妖の闇を知らぬ人、
思想統制、自由凍結の冷厳な社会の怖ろしさを、
知らぬ人である。
いったん国家が自分の意志をもち、
ある方向に歩み始めたら、
その巨大な権力は人の心をマヒさせてしまう。
人々はわれとみずからその闇へ身を投じ、
情報量の多寡はもはや問うところではなく、
「目はあいても何も見えず、耳は何も聞かない」
というのはここのところをいうのだ。
その状態の凝集せるもの、
象徴的なものが、ある種の政治団体、思想集団である。
我々は左翼であれ、右翼であれ、
すでに何十万何百万の若者が、
「目はあいても何も見えず。耳は何も聞かない」
という状態に陶酔し、みずから身を滅ぼすのを見た。
戦争中の右翼がそうであり、
戦後の、連合赤軍事件をピークとする、
極左革命思想の若者たちがそうである。
永田洋子らに死刑判決が下ったけれども、
すべてはそれで終わったのではなく、
第二第三の永田洋子らが、
これからも輩出するかもしれないのだ。
そういう運命をみずからの意志でえらびとった、
と彼らは声高くいい、
自足してみじかい生を終えるかもしれないが、
われわれ大人からみれば、
もっと広い視界で生きることを志して欲しい、
と思わずにはいられない。
暗い無菌培養の温室からぬけ出して、
外の太陽にも当り、風にも吹かれ、
さまざま有益無益のバイキンに打ち勝つ力を、
たくわえてほしい。
(ほら、これが広い広い世の中だよ)
(目かくしをお取り、
大きく息を吸い込んでごらん。
誰も若者に敵意など持ってやしない、
敵意を持つには若者は美しすぎ、若すぎる。
尻ごみしないで、たじろがないで、
身構えないで、世の中を見まわしてごらん。
いろんなものを知り、
いろんな考え方があることを発見してごらん)
私たちは先輩として若者に、
そういいたい。
それでなければ、
永田洋子たちがあまたの犠牲を出して、
自滅していった哀れさが、
活かされないではないか。
人の子の親なら、
あの一連の学園紛争、
疑似革命闘争で傷つき死んだ若い子らに、
涙をそそがないでいられようか、
彼ら彼女らは、われらの息子、娘ではないか。
彼らの犠牲を無駄にしないためには、
ひろい視野、客観的歴史事実を事実としてみとめる力を、
若者に養わせてやるべきである。
「侵略」を「進出」といいかえて、
若い世代の史観をあいまいにし、
盟邦となるべき韓国や中国の同世代の若者に、
反発させて国際社会の輪を狭くする、
そんな同じあやまちを、
二度とくりかえしていいものだろうか。
ある種の政治集団、思想集団の狂気と狷介を、
国家自体が意志して持ってしまうことは、
おそろしい。
「侵略」を「進出」といいかえても、
かつての日本軍が犯した悪業は消えない。
日本人はドイツ人のアウシュビッツを責められず、
ドイツ人はアメリカ人の原爆投下を責められない。
人間の心の奥の悪を直視することなしに、
平和はあり得ない。
国家が政治的配慮で削除したり、
歪曲したりすることのない、
歴史や社会を若者に教えてやりたい。
(了)