むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

8、宿木 ⑩

2024年06月06日 08時40分15秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・突然やって来た、
夕霧右大臣に、
宮はご機嫌斜めでいられる。

「物々しい有様で、
何しにいらしたというのだ」

仕方がないからお会いになる。

「どうぞこのまま、
六條院へ参りましょう」

宮は夕霧はじめ、
供の人々に囲まれ、
連れ去られておしまいになった。

(六條院の方々は、
あんなに花やかに時めいた、
一族を後ろ盾にしていらっしゃる、
わたくしがなんで、
そんな方と対等になれよう。
やはり宇治に引きこもった方が、
無難な人生かもしれない)

中の君はそう思う。

しかし運命は、
中の君を宇治へ帰らせなかった。

年明けて正月末ごろから、
中の君は出産が近づき、
苦しむのを宮はまだ、
ご経験がないこととて、
心配なさっていられた。

中の君のわずらいを、
宮の母君の明石の中宮も、
ご心配になって、
お見舞いがあった。

中の君は宮との結婚以来、
三年になるが、
宮のご愛情こそ、
おろかならぬものがあるけれど、
世間では中の君を、
重く扱ってはいなかった。

しかし今になって、
お産のことを聞いて驚き、
あちこちから見舞いが、
来るようになった。

薫も心を痛めていたが、
あまりしげしげと訪れるわけには、
いかず祈祷だけさせていた。

その一方で、
女二の宮の御裳着の儀式が近づき、
世間はその噂でもちきりである。

それは薫との結婚を意味する。

女二の宮は、
母君を亡くされているので、
すべて父帝がお支度の采配を、
なさるのであったが、
母方の後見役が行うよりも、
かえって盛大になった。

御裳着のあと、
引き続き薫との結婚を帝は、
仰せになっているので、
婿として薫もいろいろ心づもりも、
しないといけないのであるが、
例によって婚儀には気がすすまず、
中の君のことばかり、
案じている。

二月はじめ、
薫は権大納言になり、
右大将を兼任することになった。

右大臣の夕霧が、
左大将を兼任していたのを、
辞したため、
今までの右大将が左に転じ、
その空席を薫が襲うことになった。

昇進のお礼言上に、
薫は諸方をまわり、
二條院へも参上した。

中の君の具合が悪いので、
宮はこちらにいられる。

宮は驚かれたが、薫は、

「これから、
新任披露の宴がございます。
どうぞそのまま」

とお招きするが、
宮は中の君が心配で、
ためらっていられる。

宴は夕霧の右大臣新任の例に、
ならって六條院で行われた。

宮もご出席されたものの、
中の君のことで、
お気もそぞろというありさま、
宴も果てぬうちに、
急いでお帰りになった。

夕霧は、
せっかく六條院にお顔を、
出されながら・・・と、
面白くない。

中の君とて、
宮家の姫君であるから、
身分からいえば、
六條院の姫君に、
ひけは取らないのであるが、
夕霧は、

(なんでまた、
そうまで宮が、
たよりない身もとの女人に、
心を尽くされるのか)

といまいましく思う。

やっとのことで、
その明け方、
中の君は男の子を出産した。
宮のご心配の甲斐あって、
安産だったこと、
男君だったことを、
嬉しく思われる。

薫も自分の昇進の喜びに加えて、
この吉報を喜んだ。

宮が二條院へ籠っていられるので、
あまたの人々がお祝いに、
ここへ詰めかけてくる。

三日は例によって、
宮のうちうちのお祝いをなさった。

五日の夜は、
薫からの贈り物が用意される。

七日の夜のお祝いは、
母宮が催されたので、
参会する人々が多かった。

主上もご出産をお聞きになって、

「宮がはじめて人の子の親に、
なったのだから祝わずばなるまい」

と仰せられて、
お守り刀を賜った。

九日の夜のお祝いは、
夕霧右大臣が奉仕した。

中の君は、
ここ幾月か心地がすぐれず、
身の末を心細く思っていたのに、
一転して晴れがましい身の栄を、
経験し、いくばくかは、
心が張れる思いであった。






          


(次回へ)

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