・「中巻」は蜻蛉が三十四、五才の夏までの話です。
冷泉天皇の安和二年(969年)から、
次の円融天皇の天禄元年(970年)の二年間の出来事です。
夫の兼家は四十二才、息子の道綱は十五、六才。
兼家のもう一人の妻、時姫とのあいだに確執はなかったのですが、
お互いの下人たちがいさかいをしましてもめ事が起きました。
(夫の家の近くに移されたのがまずかったんだわ)
それで、兼家は蜻蛉を少し離れたところに転居させました。
兼家は新しい住居へことさら美々しく行列をして、
一日置きにやってきます。
それは満足すべきことなのに、
こういう状態の時は筆惜しみして詳しく書きません。
ところが兼家の足が遠のいた時は精力的に行を増やします。
この年に「安和の変」が起きます。
右大臣、源高明が為平親王を擁して謀反を企てた、
という疑いで筑紫へ流されます。
これは藤原一族の謀略とされています。
首謀者は兼家ですが、
蜻蛉は政治の世界は知りませんでしたので、
世にときめいていた人が失脚して悲しい運命にあう、
そのはかない身の上を自分の運命に合わせてショックでした。
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・この年、蜻蛉は病気になって一向によくなりません。
兼家は自邸の改築に懸命で、そのついでにやってきて、
立ったまま、「具合はどうなんだ?」と言うだけ。
蜻蛉はこう病が重くなってはおしまいだわ、
と長い遺書を書きます。遺書の中に、
(道綱のことはくれぐれも)と夫に頼んでいます。
しかし、そうこうするうちに病もなおって、
右大臣、師尹(もろただ)の五十の賀に屏風歌を頼まれます。
師尹は兼家の長兄です。
女流歌人として認められたということで、
大変名誉なことなのに、
(気が乗らないのに無理にたくさん詠まされた)
と文句を言っています。
この時の歌は日記に九首載っています。
そして兼家の改築が終わって、
引っ越しだと大騒ぎしているのに、
蜻蛉のところには音沙汰がありません。
改築完了した邸へ自分を引き取るつもりはないようです。
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・天禄元年(970年)、
宮中で弓の試合があり道綱も選ばれて出ることになりました。
予行演習は兼家邸で行われ、兼家は蜻蛉を訪れて、
道綱のことをほめました。
その時ばかりは嬉しかったのでしょう、
当日は息子の組が勝つように一心に念じています。
試合は引き分けとなって、
双方、主上からご褒美の衣を賜りました。
蜻蛉の生涯で特筆すべき嬉しい事件でした。
その後、夏にかけて兼家の足がばったりと止り、
その頃の文句にただ一行、
「夜は世界の車のこえに胸うちつぶれつつ、
時々寝入りて、明けにけるとは思ふにぞ、
ましてあさましき」
例によっていい時のことは詳しく書かなくて、
腹の立つこと、悲しいことは三ページくらい書きます。
そう考えると何という陰険な女だろうと思うのは、
間違いかもしれません。
なるべく読み手の人生が積み重なった時に、
読んだ方が真実がよく見えることがあります。
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・「日記」から真実を読み取る。
「紫式部日記」、そのまま読むと、
紫式部は陰気で内省的で引っ込み思案で、
うじうじした性格だと思わされてしまいます。
一方、式部は恋もし、美しい衣装、調度、自然を愛した人。
そうでなければ「源氏物語」は書けません。
ですから蜻蛉もかなり楽しい人生を送っていた、
性質としてうまくいってない時、
それが増幅されて日記に書いたのでしょう。
兼家の足が全く途絶え、新しい愛人が出来たらしいと、
蜻蛉は嫉妬に狂います。
しかし侍女たちの手前、
ますます追い詰められた気持ちになります。
そして、暑い盛り、琵琶湖西岸の唐崎(今の大津市)へ、
夏越しの祓に出かけました。
誰にも知らせず、女三人、侍七~八人を供に。
朝四時に立って一日がかり、
そんな風にして一日ほっとして京へ帰って来ます。
粟田口まで来るととっぷりと暮れてしまい、
そしたら向こうから松明をつけた人が来ます。
蜻蛉の留守宅から迎えに来た人でした。
「今日、おとのさまがいらっしゃいました」と言います。
また蜻蛉はカッとします。
人のいない時に来たのか、と思いまして。
そのあと、行き違いに兼家がやってきました。
「おれは来ないなんて思わないよ。
お前がむっつりして不機嫌だからやりにくいんだなあ」
あっけらかんとして機嫌よくいうのでまた憎らしくなります。
「用があるから今夜は来られない。
明日か明後日に来るよ」
と帰ったきり足は遠のき前よりも悲しくなります。
そんな風に過ごしているうち、ふっと兼家が訪れます。
蜻蛉は恨み言を言いますが全然相手にせず冗談を言います。
周りの侍女たちは笑いたくて仕方がないのだけど、
蜻蛉が恐い顔をしているので笑うに笑えません。
兼家は侍女たちの方へ向かって、
蜻蛉の恐い顔つきを真似たりします。
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・お盆が来ました。
兼家から仏さまの供物を持ってきてくれました。
暗くなってから持って来て、
ちゃんと手紙もつけて兼家はいろいろ気をつかっています。
兼家に言わせれば、
(やることはやっているんだよ。何が不満なのか?)
ですが、蜻蛉は(とにかくなぜ来ないの?)です。
兼家の方もひとたび来ると言わなくてもいいのに、
(明日か明後日には来るよ)
と言って帰るのです。
蜻蛉は真面目ですから待っています。
中々来ない。
そういう悪循環ばかりで日が過ぎ、夏が終わりました。
(次回へ)