むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

5、蜻蛉日記  ②

2021年07月01日 08時03分32秒 | 「蜻蛉日記」田辺聖子訳










・「中巻」は蜻蛉が三十四、五才の夏までの話です。

冷泉天皇の安和二年(969年)から、
次の円融天皇の天禄元年(970年)の二年間の出来事です。

夫の兼家は四十二才、息子の道綱は十五、六才。

兼家のもう一人の妻、時姫とのあいだに確執はなかったのですが、
お互いの下人たちがいさかいをしましてもめ事が起きました。

(夫の家の近くに移されたのがまずかったんだわ)

それで、兼家は蜻蛉を少し離れたところに転居させました。
兼家は新しい住居へことさら美々しく行列をして、
一日置きにやってきます。

それは満足すべきことなのに、
こういう状態の時は筆惜しみして詳しく書きません。

ところが兼家の足が遠のいた時は精力的に行を増やします。
この年に「安和の変」が起きます。

右大臣、源高明が為平親王を擁して謀反を企てた、
という疑いで筑紫へ流されます。
これは藤原一族の謀略とされています。

首謀者は兼家ですが、
蜻蛉は政治の世界は知りませんでしたので、
世にときめいていた人が失脚して悲しい運命にあう、
そのはかない身の上を自分の運命に合わせてショックでした。


~~~


・この年、蜻蛉は病気になって一向によくなりません。

兼家は自邸の改築に懸命で、そのついでにやってきて、
立ったまま、「具合はどうなんだ?」と言うだけ。

蜻蛉はこう病が重くなってはおしまいだわ、
と長い遺書を書きます。遺書の中に、
(道綱のことはくれぐれも)と夫に頼んでいます。

しかし、そうこうするうちに病もなおって、
右大臣、師尹(もろただ)の五十の賀に屏風歌を頼まれます。
師尹は兼家の長兄です。

女流歌人として認められたということで、
大変名誉なことなのに、
(気が乗らないのに無理にたくさん詠まされた)
と文句を言っています。

この時の歌は日記に九首載っています。

そして兼家の改築が終わって、
引っ越しだと大騒ぎしているのに、
蜻蛉のところには音沙汰がありません。

改築完了した邸へ自分を引き取るつもりはないようです。


~~~


・天禄元年(970年)、
宮中で弓の試合があり道綱も選ばれて出ることになりました。

予行演習は兼家邸で行われ、兼家は蜻蛉を訪れて、
道綱のことをほめました。

その時ばかりは嬉しかったのでしょう、
当日は息子の組が勝つように一心に念じています。

試合は引き分けとなって、
双方、主上からご褒美の衣を賜りました。

蜻蛉の生涯で特筆すべき嬉しい事件でした。

その後、夏にかけて兼家の足がばったりと止り、
その頃の文句にただ一行、

「夜は世界の車のこえに胸うちつぶれつつ、
時々寝入りて、明けにけるとは思ふにぞ、
ましてあさましき」


例によっていい時のことは詳しく書かなくて、
腹の立つこと、悲しいことは三ページくらい書きます。

そう考えると何という陰険な女だろうと思うのは、
間違いかもしれません。

なるべく読み手の人生が積み重なった時に、
読んだ方が真実がよく見えることがあります。


~~~


・「日記」から真実を読み取る。

「紫式部日記」、そのまま読むと、
紫式部は陰気で内省的で引っ込み思案で、
うじうじした性格だと思わされてしまいます。

一方、式部は恋もし、美しい衣装、調度、自然を愛した人。
そうでなければ「源氏物語」は書けません。

ですから蜻蛉もかなり楽しい人生を送っていた、
性質としてうまくいってない時、
それが増幅されて日記に書いたのでしょう。

兼家の足が全く途絶え、新しい愛人が出来たらしいと、
蜻蛉は嫉妬に狂います。

しかし侍女たちの手前、
ますます追い詰められた気持ちになります。

そして、暑い盛り、琵琶湖西岸の唐崎(今の大津市)へ、
夏越しの祓に出かけました。
誰にも知らせず、女三人、侍七~八人を供に。

朝四時に立って一日がかり、
そんな風にして一日ほっとして京へ帰って来ます。

粟田口まで来るととっぷりと暮れてしまい、
そしたら向こうから松明をつけた人が来ます。

蜻蛉の留守宅から迎えに来た人でした。

「今日、おとのさまがいらっしゃいました」と言います。

また蜻蛉はカッとします。
人のいない時に来たのか、と思いまして。

そのあと、行き違いに兼家がやってきました。

「おれは来ないなんて思わないよ。
お前がむっつりして不機嫌だからやりにくいんだなあ」

あっけらかんとして機嫌よくいうのでまた憎らしくなります。

「用があるから今夜は来られない。
明日か明後日に来るよ」

と帰ったきり足は遠のき前よりも悲しくなります。

そんな風に過ごしているうち、ふっと兼家が訪れます。
蜻蛉は恨み言を言いますが全然相手にせず冗談を言います。

周りの侍女たちは笑いたくて仕方がないのだけど、
蜻蛉が恐い顔をしているので笑うに笑えません。

兼家は侍女たちの方へ向かって、
蜻蛉の恐い顔つきを真似たりします。


~~~


・お盆が来ました。
兼家から仏さまの供物を持ってきてくれました。

暗くなってから持って来て、
ちゃんと手紙もつけて兼家はいろいろ気をつかっています。

兼家に言わせれば、

(やることはやっているんだよ。何が不満なのか?)

ですが、蜻蛉は(とにかくなぜ来ないの?)です。

兼家の方もひとたび来ると言わなくてもいいのに、

(明日か明後日には来るよ)

と言って帰るのです。

蜻蛉は真面目ですから待っています。
中々来ない。

そういう悪循環ばかりで日が過ぎ、夏が終わりました。






          



(次回へ)

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