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・戦争中は死者の名前さえ葬られた。
どこで誰が、何人死んだかも一切不明である。
人々は帰って来ない家族を、
出先で空襲に遭遇したものとあきらめ、
外出した日を命日にしている。
戦争と地震と、どちらが悲惨で、
どちらが軽微ということはいえない。
その場の体験者の心ごころによるであろう。
でも少なくとも長田の焦土には花があった。
コップの水が死者に手向けられていた。
戦争中よりもやさしい、
人間らしい眺めだと思う所以だ。
私は震災から二十日あまりのち、
大阪朝日新聞に寄せられた投書(1995・2・5)
を忘れられない。
神戸の主婦M・Uさん(33)
新聞には記名されているが、
私はあらかじめご諒解を得るひまがなかったので、
ここでは頭文字で。
「一歳六か月でした」というタイトル。
「私の息子は上仲大志(うえなかたいし)といいます。
一九九三年七月十五日、西宮の助産院で生まれてきた、
彼の第一声は超ハスキーボイス」
元気でかわいい赤ちゃんだった。
「日増しにかわいさを募らせる彼との生活は、
驚きと感動の連続でした。
見知らぬ人が足を止めて声かける時、
彼はいつも満面笑顔でこたえていました。
声をかけた人の表情も、
穏やかに幸福そうにゆるんでいくのです。
なんてすてきな力を身につけているのだろうと思いました。
素朴で純真。
私にとって、とびっきり上等の息子でした。
でも、その息子はもういない。
一九九五年一月十七日、
息子は私を残して、
多くの人といっしょに逝ってしまいました。
わずか一年六カ月の人生をあっという間に、
駆け抜けていった息子。
私と周囲の者の心にぽっと温かい灯をつけて。
どうぞお願いです。
これを読んで下さった方に。
上仲大志という幼い命がこの世にあったことを、
ほんの少しでもいい、思って下さい。
短い命を一生懸命生きた彼のことを、
今の一時でいい、
その名前を口にして心に思って下さい。
どうぞ、お願いします」
このUさん自身、
左腕を骨折して入院中で、
入院先からの投稿だった。
この文章は読者の感動を呼び、
一週間に五百通もの励ます手紙が、
寄せられたそうである。
それらの記事と同時に愛らしく笑う、
太志ちゃんの遺影も紹介された。
Uさんは幼い息子によって、
「生きていく意味は、
人と人のつながりの中から生まれてくる」
ことを教えられる。
「息子を失ったかなしみは深く、
その深さには底がありません。
だけど、生まれてきてありがとうと彼に言いたいし、
彼の母親にふさわしい生き方をしたいと思っています。
私は元気です」
~~~その名前を口にして心に思って下さい~~~
大志ちゃんのママは、
その名が震災の思い出がうすれるとともに、
人々からも忘却されるのに堪えられなかったのであろう。
名こそ人間の存在証明で、
名を弁別するのが愛のはじまりである。
テレビの画面に、新聞の(亡くなった方)欄に、
延々と続く五千有余人の名。
それこそ愛のはじまりだ。
阪神大震災は、
大震災前、大震災後、というふうに今後、
あらゆる点で文化の一つの区切りになると思うが、
<人が助け合うということ><愛、そのこころ>の、
紀元元年になるものであってほしい。
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(次回へ)