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2002年(平成14年)
・1月20日(日)
一月十六日、幸い、晴れの葬式日和になった。
各出版社の方々、近所の友人たちが手分けして、
受付などの仕事を分担して下さる。
弟や息子たち、中老年の一族の男たちがいるので、
私はじっと主席に坐っているだけでいい。
自分主催ながらこんな楽なセレモニーははじめて。
弔電をたくさん頂いたのだが、
作家の弔電、数通のみ代表で読ませて頂くことになった。
ベテランの係りの方のお声はよく透るのだった。
「人生の並木道を思い出します。
ご冥福をお祈り申し上げます」は津本陽さん。
津本さんは彼とも古い友人で、
飲むとよく“泣くな妹よ 妹よ泣くな・・・”を歌ったから。
「カモカのおっちゃん シーユーアゲイン」は宮本輝さん。
「突然の訃報に接し 言葉もありません。
以前、金沢へお越しになって、ご一緒に食事をした時のことを、
夢のように懐かしく思い出します。俱会一処、共に浄土にまみえん」
は、五木寛之さん。
「肩を並べて三人で新地を歩いた日を偲び、
心よりご冥福をお祈り申し上げます」は黒岩重吾さん。
「御良人様のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。
日ごろより素晴らしいお二人と羨んでおりました。
さぞかし、お力落としのことでしょう。
充分に御自愛下さいますよう、お祈りいたしております」
は、阿刀田高さん。
神戸の友人を代表して、ノコこと小山乃里子さん、
「カモカのおっちゃん、長いこと遊んでもろておおきに。
あなたの頑固さ、優しさ、豪快さ、忘れません。
あの世とやらで、またカモカ連で踊りましょう。
心からの感謝とお悔やみをこめて」
壇上の写真のおっちゃんは白い花に囲まれ、
呵々大笑している。
藤本義一さんの弔辞はしめやかに真情こもり、
すてきなものだった。
藤本さんは封筒から原稿用紙の束を抜き出し、
ひびきのいいお声で静かに読まれる。
「弔辞。
カモカのおっちゃん、
いつもの通り、カモカのおっちゃんと呼ぶことをご寛怒下さい。
まさか、カモカのおっちゃんの弔辞を読むとは思っていませんでした。
カモカのおっちゃんの豪快さは不変のものだと信じていました。
南国の南風から生まれた剛毅なおっちゃんの気風は、
常にその言葉の端々にありました・・・」
藤本さんは、おっちゃんと会ったのは、
昭和四十三、四年だったと言われる。
神戸のパーティ会場で、
「川野やが」と凄み、鋭い目つきでにらみつけ、
「アンタだけやで。
うちの妻に向かって“おセイさん”と、気安う呼ぶのは。
ほかの人はそう呼ばへん」
藤本さんは腹を立てて言い返す。
「いけまへんか。
あんたよりずっと前からおセイさん知ってましたんやデ。
十年も前から知ってたんですがな」
するとおっちゃんは急に凄みの消えた顔になり、
濃いまゆが下がって、照れた顔になり、
「あ、そういうこっちゃなあ。
ほな、ま、文句は言えんわ、な」
と頭をかきかき恐縮に身を縮めて、大きな頭を下げた。
藤本さんが「なんや、恨んではりますのか」と言うと、
「今の今まで恨んでたけど、帳消しにしよや」
ぼそぼそとおっちゃんは言った、とのこと。
藤本さんの弔辞は淡々と軽快に続く。
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(次回へ)