むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

5、おしゃれ ④ 

2022年07月04日 08時13分02秒 | 田辺聖子・エッセー集










・宝塚の男役を見てもわかるが、
あの燕尾服にシルクハット、
という古典的な男の姿にも、
似合う人と似合わない人がいる。

これがいかにも男、男していたのでは人気が出ない。
女、女していてもダメなのである。

人気の高い男役スターというのは、
きりっとした男のりりしさと、
女のなよやかさと、
この異なった二つの色気を漂わせているものだ。

カチッとしたかたい服が、
女の身ながら似合う人、
そういう人が男役として成功する。

スーツは、いうならそのたぐいの服で、
スーツほど着こなしの難しいものはない。

それぞれ女のおしゃれは百花繚乱であればこそ、
世の中が面白いのであって、
これだけ物資の氾濫している中で、
なぜみな同じようなものしか着ないのか。

それにちょっとでも違っていると、
なぜワルクチをいうのか。
私は不思議で仕方ないのだ。

年相応の、などとは笑止な批判である。
年齢を加えれば加えるほど若くなる人というのはいる。

二十歳で老朽している人間もいるのだし、
要はその人の発散する生命力いかんによるのだ。

色使いがチグハグな人は、
私のまわりにも確かにいる。

私が現にそうだからよくわかるのだが、
色のセンスというのはどうも生まれつきらしく、
現代感覚とマッチしないといわれても、
どうしようもない。

しかし、そのへんが個性というものであろうし、
(いつもヘンなものを着てる)
と思われても、
そこがまた面白いところである。

で、私から見て、
ワーストドレッサーとはどういうのを指すかというと、
あんまり非のうちどころなく決まった人、
などはそうである。

一分のすきなく装っていると、
むしろ滑稽になるから、
どこかでトーンを破ったほうがいい。

それから、身なりはよくても生気のない人。
表情が死んで目に力がなければ、
よいものを着ていてもダメ。

ものの言い方、しぐさ、挙措、雰囲気の下品な人、
(下品というのは私の場合、
情趣や情緒に乏しい、悪意に満ちているとかいうもの)
それがきちんとしたものを着ていると、
よけいその対比で不快である。

ところで、
ベストドレッサーとはつまり、
「陽気な服」を着る人のこと。

日本のデザイナーがお手本にする、
パリ、ロンドンだって、
くすんだ落ち着いた色合いの町である。

それでこそ、
「シック」も「シンプル」も適応するのであろうけど、
日本は雪国は知らず、本質は陽気が似合う国ではないか、
と思う。

陽気というものは伝染するものである。
なるったけ、陽気な人のそばにいるほうがいい。

もっといいのは、
陽気の発行体に自分がなること。

陽気にならないと、
核廃絶も戦争反対も叫べない。

陽気の発行体になって、
自分のまわりに陽気な人を集めるようになれば、
どんなにいいだろう。

そのためにも、
陽気な服を着たほうがいい。

私はほんとうにシックな服、というのは、
陽気な気分を与える服ではないかと思っている。






          


(次回へ)

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