・宝塚の男役を見てもわかるが、
あの燕尾服にシルクハット、
という古典的な男の姿にも、
似合う人と似合わない人がいる。
これがいかにも男、男していたのでは人気が出ない。
女、女していてもダメなのである。
人気の高い男役スターというのは、
きりっとした男のりりしさと、
女のなよやかさと、
この異なった二つの色気を漂わせているものだ。
カチッとしたかたい服が、
女の身ながら似合う人、
そういう人が男役として成功する。
スーツは、いうならそのたぐいの服で、
スーツほど着こなしの難しいものはない。
それぞれ女のおしゃれは百花繚乱であればこそ、
世の中が面白いのであって、
これだけ物資の氾濫している中で、
なぜみな同じようなものしか着ないのか。
それにちょっとでも違っていると、
なぜワルクチをいうのか。
私は不思議で仕方ないのだ。
年相応の、などとは笑止な批判である。
年齢を加えれば加えるほど若くなる人というのはいる。
二十歳で老朽している人間もいるのだし、
要はその人の発散する生命力いかんによるのだ。
色使いがチグハグな人は、
私のまわりにも確かにいる。
私が現にそうだからよくわかるのだが、
色のセンスというのはどうも生まれつきらしく、
現代感覚とマッチしないといわれても、
どうしようもない。
しかし、そのへんが個性というものであろうし、
(いつもヘンなものを着てる)
と思われても、
そこがまた面白いところである。
で、私から見て、
ワーストドレッサーとはどういうのを指すかというと、
あんまり非のうちどころなく決まった人、
などはそうである。
一分のすきなく装っていると、
むしろ滑稽になるから、
どこかでトーンを破ったほうがいい。
それから、身なりはよくても生気のない人。
表情が死んで目に力がなければ、
よいものを着ていてもダメ。
ものの言い方、しぐさ、挙措、雰囲気の下品な人、
(下品というのは私の場合、
情趣や情緒に乏しい、悪意に満ちているとかいうもの)
それがきちんとしたものを着ていると、
よけいその対比で不快である。
ところで、
ベストドレッサーとはつまり、
「陽気な服」を着る人のこと。
日本のデザイナーがお手本にする、
パリ、ロンドンだって、
くすんだ落ち着いた色合いの町である。
それでこそ、
「シック」も「シンプル」も適応するのであろうけど、
日本は雪国は知らず、本質は陽気が似合う国ではないか、
と思う。
陽気というものは伝染するものである。
なるったけ、陽気な人のそばにいるほうがいい。
もっといいのは、
陽気の発行体に自分がなること。
陽気にならないと、
核廃絶も戦争反対も叫べない。
陽気の発行体になって、
自分のまわりに陽気な人を集めるようになれば、
どんなにいいだろう。
そのためにも、
陽気な服を着たほうがいい。
私はほんとうにシックな服、というのは、
陽気な気分を与える服ではないかと思っている。
(次回へ)