むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

12、澪標 ⑥

2023年10月11日 08時29分48秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・もう一人、源氏の忘れられぬ恋人がある。
おぼろ月夜のかんの君である。

今もあきらめきれず、
かんの君にいい寄るのである。

しかし、かんの君は昔の彼女ではない。
いまは源氏の兄・朱雀院の愛に目覚めて、
源氏には応じなかった。

朱雀院は御譲位後、
のどかに暮らしておられる。

女御、更衣など、お妃がたは、
元のままお仕えになっている。

新しい東宮の母・承香殿の女御は、
いまは院のそばを離れて、
御所の東宮のそばにいられる。

この女御は、
以前、かんの君のご寵愛が盛んで、
その陰でかき消されたように、
暮らしておられたが、
お生みになった皇子が、
東宮(皇太子)になられて、
昔に引き換え晴れやかな身となられた。

かの源氏の継母・藤壺の宮は、
すでに落飾されているので、
女院と申し上げ、
それにふさわしい年俸を受けられ、
花やかな御威勢になられた。

けれども女院ご自身は、
仏道修行に励んでいられて、
もはや世俗の栄華に、
ご関心はおありではなかった。

ただ、
今までは世間への遠慮で、
宮中への参内もままならず、
おん子(冷泉帝)にお会いになれぬことを、
嘆いていらしたが、
今は思うようにお会いになれることを、
喜んでいらした。

それを、弘徽殿の大后(朱雀院の母君)は、
複雑な思いで見ていられる。

移り変る時勢に、

「世の中はいやなものだねえ」

と大后は愚痴をこぼされるが、
しかし源氏は、老いたる大后に、
親切な心遣いをみせ、
やさしく接するのだった。

源氏は都へ戻って、
昔以上の権勢を手にしてから、
流浪時代つらく当たった人々に、
仕返しをすることなど絶えてなかった。

源氏は、流謫の時節を経て、
大人になった。

しかし、そんな源氏にも、
許せない人が一人いる。

紫の君の実父・兵部卿の宮だった。

宮が流浪中の源氏に、
意外に冷淡であられたのを、
源氏は忘れることができない。

かねて源氏は、
兵部卿の宮を親しく思い、
心を開いてつきあい、
好意を持ち続けてきた。

愛する紫の君の父であり、
またひそかな憧れを捧げる、
藤壺入道の宮の兄君でもある人として、
二重の縁の深さを思い、
敬愛の念を抱いて接してきた。

それなのに、
兵部卿の宮は、
源氏が須磨へ追放されると、
弘徽殿大后や右大臣側の思惑を怖れて、
とたんに交わりを断ってしまわれた。

わが身に累の及ぶのをおそれ、
娘の紫の君に一片の同情さえ、
示して下さらなかった。

源氏の流浪中、
兵部卿の宮が紫の君を、
力強く庇護していて下されば、
どれほどか源氏の大きな心の支えに、
なったであろうものを。

それを思うと源氏は不快である。






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 12、澪標 ⑤ | トップ | 12、澪標 ⑦ »
最新の画像もっと見る

「新源氏物語」田辺聖子訳」カテゴリの最新記事