むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

27、ニューヨークの新春

2022年03月31日 08時12分20秒 | 田辺聖子・エッセー集










・クリスマスと正月をニューヨークで過ごして、
思ったより暖かかった。
快晴が続き、ニューヨークの空は真っ青。

半分仕事で、向こうの女性編集者に会ってきたが、
(会ったといってもちゃんと通訳の人がいてくれる)
ロマン小説の動向や、結婚観、恋愛観が聞けて、
面白かった。

こっちも女性編集者数人、かたまって行ったので、
この旅行はしゃべりづめで、
いろいろおかしいこと多かった。

日本人男性でもう長いこと駐在して仕事している人に、

「アメリカ人の男性と仕事以外で何をしゃべりはるんですか」

と聞いたら、

「何をしゃべっているのかなあ。
しかし僕の仕事先のアメリカ男は、話がつまらんのでね。
金儲けのことしか、しゃべらないなあ。
それにロスかシカゴぐらいしか知らないから世界が狭いし。
男より、アメリカ人は女のしゃべりの方が面白い。
話題にバラエティがある。
仕事にボーイフレンドに趣味、
それに女性問題、ウィメンズリブの話に、
料理育児と間口が広くてね。
聞いてて面白くてね」

ということで、これは私も、
向こうの女性編集者と話してそう思った。
尤も、日本でもそれは似ている。

この前、ニューヨークへ行った時は石油ショックのころで、
暖房もろくにつけず、万事しけていたが、
今はノビノビして、町中のめぼしい道路の街路樹に、
小さい灯がまといつかされている。

光の樹氷のようで、それがずうっと続くと、
町全体が奥行きの深い宝塚の舞台のようになった。

前回はニューヨークにおいしいものはないと思ったが、
今回はお膳立てしてくれる人や、
案内してくれる人のセンスのせいか、
結構、おいしいものとたくさんめぐり合い、
お上りさんとしては満足だった。

セントラル・パークのそばのフランス料理、インド料理もいいが、
何でもないホテルの食事も結構、いけた。

ただ、アメリカはレストランの照明が暗いのには閉口、
もっと明るいほうがいい。

古い建物が残っていたり、
骨董市に古いものがどっさり出回っていたりするのを見ると、
ああ、アメリカは戦災を受けていなかったんだな、
ということが今さら、思われる。

都会でもこれだから、田舎はなおのこと、
昔ながらのものが根強く温存され、
よい悪いを越えて、
保守主義はどっしり根を下ろしていることであろう。

レーガンが支持されるはずだなあ、
というところがある。

尤も私の会った女性編集者の中の若い一人は、
ケネディ好きの人で、
私はレーガンを支持しなかったわ、といっていた。

二十四日の晩は、
教会でお祈りをしようという人が、
寒空に延々とつづく。

こういうニューヨークも私にははじめてであった。

ラジオシティホールでは、
絵はがきがそのまま動き出したというか、活人画というか、
イエス様の生まれた聖夜の物語をみせる。

ほんものの羊やロバ、ラクダまで出て来て、
讃美歌が歌われ、子供も大人も感激の大拍手という、
清らかなニューヨークでありました。

聖書で教わった通りに舞台ではドラマと音楽がくりひろげられ、
小さい子供たちも熱心に見ていて、かわいいのである。

大人も俗世の垢を去り、
心洗われたのか、さっぱりとした面持ち。

そうして小さい子をかばいつつ、
ゾロゾロと寒風の戸外へ出る。

私も「ハローウィンのE・T」という格好で、
ヨチヨチと外へ出た。

何しろまわりは背の高い人々ばかり、
私は谷底を歩いているようである。

誰かが背中を押してくれるので、
同行者だとばかり思って、安心してついて行ったら、
その人は私をのぞきこんで、
「ソリー!」と笑い出した。

私は子供とまちがわれて、
危うく連れ去られるところであった。

アメリカは子供の行方不明というか、子取りが多いらしく、
どこへ行っても常に不明の子供たちの写真が掲げられている。

四つ、五つの子供らにまじって、
私の写真も出るところであった。

私はもう一つ行きたいところがあって、
それはアメリカの自然科学博物館であった。

恐竜の骨を見るというのが私の夢。

ツチノコも雪男もUFOもネッシーもいると信じるのは、
この恐竜のためである。

人が、

「恐竜のいるのはわかりました。
しかしそのあとのと、どういう関係がありますか」

といわれても、そんなこと知らん、
とにかく、恐竜がいたからには、
他のものもいるはず、と思いこんでる。

そのくらい恐竜は私にとって、
大きい存在なんである。

いや~~、実にでかかった。
私は恐竜の舌くらいの身長しかない。

片やマンモスも大きいが、
なぜか私は恐竜の方が好もしい。

あのどで~っとした尻尾のいやらしさもあまりにも好もしく、
前肢の持ちあげかたのグロテスクな格好ときたら、
涙が出るくらい、慕わしい醜さの極致である。

私はいつまでも恐竜の骨のまわりをめぐったのであった。

日本へ帰ってきたら寒くて、お詣りした浅草で、
風邪をひいてしまった。






          

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