・クリスマスと正月をニューヨークで過ごして、
思ったより暖かかった。
快晴が続き、ニューヨークの空は真っ青。
半分仕事で、向こうの女性編集者に会ってきたが、
(会ったといってもちゃんと通訳の人がいてくれる)
ロマン小説の動向や、結婚観、恋愛観が聞けて、
面白かった。
こっちも女性編集者数人、かたまって行ったので、
この旅行はしゃべりづめで、
いろいろおかしいこと多かった。
日本人男性でもう長いこと駐在して仕事している人に、
「アメリカ人の男性と仕事以外で何をしゃべりはるんですか」
と聞いたら、
「何をしゃべっているのかなあ。
しかし僕の仕事先のアメリカ男は、話がつまらんのでね。
金儲けのことしか、しゃべらないなあ。
それにロスかシカゴぐらいしか知らないから世界が狭いし。
男より、アメリカ人は女のしゃべりの方が面白い。
話題にバラエティがある。
仕事にボーイフレンドに趣味、
それに女性問題、ウィメンズリブの話に、
料理育児と間口が広くてね。
聞いてて面白くてね」
ということで、これは私も、
向こうの女性編集者と話してそう思った。
尤も、日本でもそれは似ている。
この前、ニューヨークへ行った時は石油ショックのころで、
暖房もろくにつけず、万事しけていたが、
今はノビノビして、町中のめぼしい道路の街路樹に、
小さい灯がまといつかされている。
光の樹氷のようで、それがずうっと続くと、
町全体が奥行きの深い宝塚の舞台のようになった。
前回はニューヨークにおいしいものはないと思ったが、
今回はお膳立てしてくれる人や、
案内してくれる人のセンスのせいか、
結構、おいしいものとたくさんめぐり合い、
お上りさんとしては満足だった。
セントラル・パークのそばのフランス料理、インド料理もいいが、
何でもないホテルの食事も結構、いけた。
ただ、アメリカはレストランの照明が暗いのには閉口、
もっと明るいほうがいい。
古い建物が残っていたり、
骨董市に古いものがどっさり出回っていたりするのを見ると、
ああ、アメリカは戦災を受けていなかったんだな、
ということが今さら、思われる。
都会でもこれだから、田舎はなおのこと、
昔ながらのものが根強く温存され、
よい悪いを越えて、
保守主義はどっしり根を下ろしていることであろう。
レーガンが支持されるはずだなあ、
というところがある。
尤も私の会った女性編集者の中の若い一人は、
ケネディ好きの人で、
私はレーガンを支持しなかったわ、といっていた。
二十四日の晩は、
教会でお祈りをしようという人が、
寒空に延々とつづく。
こういうニューヨークも私にははじめてであった。
ラジオシティホールでは、
絵はがきがそのまま動き出したというか、活人画というか、
イエス様の生まれた聖夜の物語をみせる。
ほんものの羊やロバ、ラクダまで出て来て、
讃美歌が歌われ、子供も大人も感激の大拍手という、
清らかなニューヨークでありました。
聖書で教わった通りに舞台ではドラマと音楽がくりひろげられ、
小さい子供たちも熱心に見ていて、かわいいのである。
大人も俗世の垢を去り、
心洗われたのか、さっぱりとした面持ち。
そうして小さい子をかばいつつ、
ゾロゾロと寒風の戸外へ出る。
私も「ハローウィンのE・T」という格好で、
ヨチヨチと外へ出た。
何しろまわりは背の高い人々ばかり、
私は谷底を歩いているようである。
誰かが背中を押してくれるので、
同行者だとばかり思って、安心してついて行ったら、
その人は私をのぞきこんで、
「ソリー!」と笑い出した。
私は子供とまちがわれて、
危うく連れ去られるところであった。
アメリカは子供の行方不明というか、子取りが多いらしく、
どこへ行っても常に不明の子供たちの写真が掲げられている。
四つ、五つの子供らにまじって、
私の写真も出るところであった。
私はもう一つ行きたいところがあって、
それはアメリカの自然科学博物館であった。
恐竜の骨を見るというのが私の夢。
ツチノコも雪男もUFOもネッシーもいると信じるのは、
この恐竜のためである。
人が、
「恐竜のいるのはわかりました。
しかしそのあとのと、どういう関係がありますか」
といわれても、そんなこと知らん、
とにかく、恐竜がいたからには、
他のものもいるはず、と思いこんでる。
そのくらい恐竜は私にとって、
大きい存在なんである。
いや~~、実にでかかった。
私は恐竜の舌くらいの身長しかない。
片やマンモスも大きいが、
なぜか私は恐竜の方が好もしい。
あのどで~っとした尻尾のいやらしさもあまりにも好もしく、
前肢の持ちあげかたのグロテスクな格好ときたら、
涙が出るくらい、慕わしい醜さの極致である。
私はいつまでも恐竜の骨のまわりをめぐったのであった。
日本へ帰ってきたら寒くて、お詣りした浅草で、
風邪をひいてしまった。