むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

9、東屋 ⑩

2024年06月21日 08時00分41秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・乳母は浮舟を引き立て、
中の君の前へ押しやる

浮舟は、
無我夢中でぼ~っとしている

その姿は上品で美しい

(御方さまもお美しいお方、
とお見上げしていたけれど、
この方もお劣りにならない
もし宮さまがこの方に、
ご執心になったら、
大変なことになる・・・)

右近は思いつつ浮舟を見ていた

浮舟は女房たちの視線が恥ずかしく、
隠れてしまいたいが、
中の君の前なので、
そうもできない

中の君は話しかける

「よその家は気づまり、
と思ったりしないでください
わたくしもお姉さまが亡くなられて、
忘れるひまもなく悲しくて、
一人残された不運も怨めしく、
嘆いて暮らしていましたけれど、
お姉さまによく似ていらっしゃる、
あなたに会って、
心も慰められる気がして、
しみじみと懐かしい。
気にかけてくれる身内もいない、
わたくしです。
あなたが亡きお姉さまと同じように、
わたくしに親しんで下さったら、
どんなに嬉しいでしょう」

浮舟の方はただもう、
はにかんで、
それに田舎育ちの身には、
気の利いた返事も思いつかなかった

中の君は、
浮舟にみとれていた

(なんてまあ・・・
亡きお姉さまを目の前に見るような)

姉妹はゆっくりと話し合って、
夜明け方になって寝た

中の君は浮舟をそばに寝させ、
亡き父宮の思い出話などをした

浮舟はそれを聞くにつけても、
とうとう父君と今生で、
お目にかかれなかった運命を、
悲しく思うのであった

乳母は車を寄越してもらって、
常陸邸へ帰っていった

昨夜の出来事の報告のため

北の方は胸がつぶれるほど、
驚いた

中の君もどんなお気持ちで、
いられることか、
男女の仲の嫉妬の感情は、
身分の高低を問わないものだから

自分の気持ちを押しはかると、
じっとしていられず、
夕方、二條院へ参上した

匂宮はご不在だったので、
北の方も気兼ねなく中の君に会った

「何度もお伺いして、
お許し下さいまし
頼りない子をお手元にお預けして、
お預けすれば安心と思いながら、
また心もとなくなりまして・・・」

「そんなにご心配なることも、
ありますまい」

中の君はいった
中の君の眼元は涼しく美しい

北の方は昨夜の事件を中の君は、
どう思っているのであろう、
と思うとその話は切り出しにくく、

「こうしてあの子を、
おそばに置いて頂いていますと、
私の年来の願いが叶う気が、
いたしまして、
喜んでいたのでございますけれど、
やっぱり、
ご遠慮すべき筋合いのもので、
ございました
深山にこもって世を捨てさせよう、
という初めの考えを、
変えるべきではなかったと存じます」

北の方は涙を拭いた

中の君は、
昨夜のことを聞いて、
心配して駆けつけたのであろう、
と思って言葉を継いだ

「ここにいらして、
何のお気遣いが要りましょう
あの方を妹と思って、
お迎えしたのです
怪しからぬお振る舞いをなさる方が、
ないとは申せませぬけれど、
その辺の事情は、
この邸の者みな承知しておりましょう
よくよく気をつけて、
お困りになるような目には、
お会わせしないはずです」

北の方は、
不慮の事態が出来したことを、
無論、中の君に対して、
怒ることも恨むこともできず、
気持ちのしこりを与えぬよう、
浮舟を引き取るつもりだった

「明日、明後日と、
重い物忌の日に当たりますので、
さるところできびしく守らせまして。
過ぎましたらまた参上させます」

といって浮舟を連れ出す

中の君は浮舟が可哀そうでもあり、
自分の好意が伝わらなかったのを、
不本意にも淋しく思ったが、
どうして引き止めることができよう

北の方は、
予想もしなかった、
忌わしい出来事に動転していたので、
ろくに挨拶もせず、
二條邸を出てしまった

こんな時の方違えのためにと思い、
小さい家を三條あたりに、
用意していた

ちょっとしゃれた家だが、
まだ造りかけの家なので、
しつらえも揃っていない

「思うようにならない浮世、
ほんとに生きにくいもの
私一人なら、
そっと世に埋もれて暮らすことも、
出来るけど
あのご親戚はもともと私に、
辛く当たられた
それを、
こちらからお近づき願ったあげく、
不都合なことでも起きたら、
世の物笑いになってしまう
粗末な家だけど、
ここを誰にも知らせず、
そっと隠れていらっしゃい
そのうち、
何とかしてあげます」

北の方はそういって、
帰り支度をする

浮舟は泣き出して、
沈んでいる

こんなところへ置いてゆく、
美しい娘が、
勿体なくも残念でならず、
無事に望み通りの結婚を、
させてやりたいと思う

それにつけても、
あんな体裁悪い事件のために、
世間から軽々しい女、
と思われ噂されはせぬか、
と気になるのであった






          


(次回へ)

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