「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「31」 ③

2025年01月23日 09時14分09秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・私は縁に出て、簾をあげた

築地も門も壊れたままなので、
往来がよく見わたせる

生意気ざかりの青二才どもが、
こちらを指さして、

「お、出てきた
あの婆の尼が清少納言のなれの果て、
というわけか」

私は啖呵を切った

「いかにも清少納言のなれの果てだよ
いかにも婆の尼だよ
だけど、痩せても枯れても、
あたしゃ清少納言だ・・・」

若殿ばらは、
逃げるように車を急がせて去った

自分でもおどろくほど、
やつれて見るかげもない、
顔になっている

しかし私には、
今も公任卿や赤染衛門や、
和泉式部が手紙や見舞いをくれて、
友人が多いので淋しくない

私は社交界へ出ないものの、
全くの世捨て人でもないのだ

そういえば、
あの美しき情趣深き和泉式部は、
恋人の為尊親王に死に別れ、
その弟の敦道親王にも先立たれた

歌人としての名は、
いよいよ高いが、
いまは道長の君のお気に入りだった、
藤原保昌の君と再婚している

和泉式部は一条帝の御代、
彰子中宮のもとに仕え、
時めいた時代もあったが、
すべては昔ものがたりになってしまった

そういえば、
そのころ共に彰子中宮に仕えた、
れいの為時の娘、
この頃では彼女の書いた「源氏物語」
にちなんで「紫式部」と呼ばれている女が、
世上に流布した日記の中で、

「清少納言というのは、
高慢ちきで箸にも棒にもかからぬ女」

などと書きちらしていた

「利巧ぶって漢学の才を、
ひけらかしているけれど、
まちがいも多く、
浅はかなものである

そうやって他人より、
際立とうとやっきになるような人間は、
長い目で見ると、
必ず見劣りされ、
行く末、ろくなことにならない」

というのは、
「春はあけぼの草子」への、
批判であろうか

「とにかく、
情趣、情緒、風流、雰囲気、
というようなものばかりを、
大切にして気取るような人は、
何ということない殺風景な凡々たることも、
感動的に受け取り、
いちいちに一人よがりで、
大げさな感涙をこぼしたりして、
こちらは白けて浮いてしまう

その感動の中身も実は、
空虚で軽薄なのである

そういうものの見方、
生き方が身についてしまったような、
人間の行く末が、
どうしてよいものであろうか」

これはあきらかに、
私の生き方、私の人生に対する、
嘲笑で挑戦である

しかし私は彼女に怒りをおぼえる、
というのではない

また嘲笑されてしょげる、
というのでもない

彼女が「春はあけぼの草子」を、
読んだように私も「源氏物語」を読んで、
そして私は面白かった

ただ彼女とちがうところは、
「春はあけぼの草子」も「源氏物語」も、
どちらも同じ人生の陰と陽、
凹と凸だと発見したことだった

人生も人間も、
さまざまに変る光陽にみち、
どの面もどの光も真実であるのだった

それからまた、
あの紫式部は、
陰鬱で不平不満のかたまりであり、
ゆえ知らぬ怨嗟につねに、
心を煎られていた、不幸な女、
「足らう」ということを、
知らぬ気の毒な女だった、
という同情である

それは物語作者の宿命みたいな、
ものであろう

物語を創作する人間は、
おのが描き出した宇宙に、
ふりまわされて骨身を削り、
生みの苦しみに肉を殺いで、
それでもつねに餓えつつ、
何かを求めて死んでゆく

死ぬまで「足らう」、
ということはないのだ

そこへくると私は、
書くべきことを書き終えた安らぎで、
いつも満ち足り、
世を楽しく過ごしている

紫式部は気の毒な女だった

・・・「だった」というのは、
もう十二、三年も前に死んでしまった

まだ四十一だったという

その娘がやはり、
彰子中宮、いや、皇太后のもとへ、
お仕えしていて、
これは母に似ず、
伊達男の父の宣考に似たのか、
派手で愛想よい性格で、
男たちにもて、
恋人も多いらしい

そういえば、
安良木もいまだに彰子皇太后に、
いや、落飾されていまは、
上東門院と申しあげるが、
お仕えしている

いまでは小馬命婦とよばれ、
女院のご信頼もあついとのことだが、
ついに結婚しないで終わった

少女でいらした彰子中宮に、
奉げた安良木の純情は、
幸せにも人生の大半そのまま、
持ち続けることができたのだった

安良木が彰子中宮の御殿にもたらした、
「春はあけぼの草子」が刺激となって、

「こちらでも、
彰子中宮のめでたさをたたえた作品を」

という希求が湧きおこり、
道長の君のお声がかりで、
紫式部が筆を取った、
ということである

おお、それもこれも昔のこと

あの権力者の道長の君さえも、
お亡くなりになってしまった・・・

私は腰をのばし、
やおら外に出る

庭の片隅に作った青菜が、
思いのほか出来がよかったゆえ、
干し菜にしておこうと思う

軒の竹竿にうちかけつつ、

「おお、なんとみずみずしい緑色
昔の男どもの着た直衣の色を、
見るような」

紅梅がさね、
山吹がさね、
桜がさね・・・

美しゅうございましたね、中宮さま

いまも思い出にありありと、
そのままでございますよ

花やかな後宮の色と匂いと笑い声

私は小柴垣の彼方の、
亡き中宮の鳥辺野の御陵に、
手を合わせる

朝な夕な、
中宮にお話し申しあげているが、
目につくたび、
手を合わせ、胸のうちで、
お話しする

中宮もまたおこたえになる

瞼に浮かぶお姿は、
むろんお若く美しい中宮である

そしておん年二十一でいらした主上と、
二つの敦康親王、
お生まれになったばかりの、
美子内親王・・・

極楽浄土で、
おむつまじく団欒なすっている、
おんありさまである

折から、
春の空はまるで、
祭りの日の車の裾から、
こぼれ出した衣か、
檜扇の五色の糸のように、
あけぼの色に染まった

あけぼのは、
御陵の深い緑の稜線を、
赤くいろどる

中宮のお美しいお姿、
さわやかなお心ざまを、
私はついに「春はあけぼの草子」に、
とどめた

中宮は老いられない

千年たっても老いられない

私の頬を満足の涙が伝う・・・






          


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