「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「31」 ②

2025年01月22日 09時06分59秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・不機嫌な顔になった則光はいう

「くだらん本の一冊や二冊より、
田舎にはもっと大きな何かがある
嘘っぱちや泣きごとを並べる、
都の上つ方の腹黒いもくろみや、
ちっぽけな了見を、
ふきとばしてしまうような、
ものすごい力があらえびすの国にはある

あずまは未開で荒けずりだが、
人間は大きく息をつき、
足の続く限り駆けまわれるところだ

そういうよさが、
お前にはわからんのだ
所詮、俺とお前はちがう人間なのだ

・・・ああ、気が悪い」

則光は腰をあげた
私はいそいでいった

「でも、来てくれてありがとう、則光
怒らないで笑って別れてよ」

則光がいい男であるのを、
私は彼の妻たちの誰よりも、
よく知っているつもりだった

「くそ
お前はちっとも変わらんな、
笑って別れるなんてことが、
そもそも都会人のよたっぱちだ

別れるのは、
愛想をつかしたからこそ、
別れるのさ

俺はもうお前が、
野垂れ死にしたって知らんぞ、
愛想もこそも尽き果てた!」

則光は一度もふり返らず、
出ていった

いや、私にしてみれば、
彼は出ていったのではない

私は彼のよさを、
「春はあけぼの草子」に書きとどめ、
しるし伝えて、
のちの世の女たちに、
則光を愛させるのだ

まさしく彼は、
私の書く本の中にひきとめられ、
閉じ込められるのだった

ひと月ばかりして、
則光から便りが来た

「逢坂の関にて 則」

とあり、
珍しく歌がしたためてあった

<われひとりいそぐと思ひし東路に
垣根の梅はさきだちにけり>

(東国へ俺は行くぞ
見ろ
梅は俺の先がけをして、
咲いている
さらばだ

俺とお前は人生がちがう
俺はこせこせした都を捨て、
広い東国の天地に生きるぞ
お前は狭い都の片隅で、
這いずりまわって、
過ごすがいいさ)

しかし彼の気負いは、
無邪気で屈折していないところが、
さわやかだった

いい男だった

いい男や女を、
私はたくさん見た

あれもこれも書きとどめ、
伝えたかった


~~~~~


・いま私は、
故定子中宮の鳥辺野の陵のそばに住み、
亡き中宮の陵を朝夕拝しつつ、
日を送っている

この山荘は、
亡き父の持ち物だったが、
長兄が譲りうけていた

私は中宮のおそばにいたくて、
三条の私邸と引き換えに、
ここに移り住んだ

荒れ果てた家は、
近くに住む赤染衛門が、
雪の降る日にこんな歌を、
よんでよこした通りである

<あともなく雪ふる里の荒れたるを
いづれ昔の垣根とか見る>

私は六十歳というとしになった

この年、万寿四年(1027)

長く筆をおいていたのに、
ひさかたぶりに、
この草子のうしろに、
書き加える気になったのは、
このほど、
道長の君や行成の君が、
相次いで亡くなられてしまったからだ

あの左大臣どのがついに・・・

この二十五年のあいだに、
なんと多くの人の死を、
見てきたことか

主上がおん年三十二のお若さで、
崩御されたのは、
もう十六年前のこと・・・

そのとき、
彰子中宮はまだ二十五のお若さだった

かの定子中宮の亡くなられたお年と、
同じだったが、
すでに皇子をお二人挙げていられた

東宮はその兄皇子、
ついで新東宮も弟皇子が立たれたため、
定子中宮のお生みになった、
敦康親王はとうとう、
皇位におつきになれずじまいだった

伊周の君は、
すべてに望みを断たれ、
絶望のあまり消え入るように、
亡くなってしまわれた

美子内親王は九つで、
敦康親王も二十歳のお若さで、
母宮父宮のあとを追われた

おお、そういえば、
私は指を折る

花山院も、
明順の君もすでに亡い

有国も隆円僧都も方弘も

経房の君は、
任地の大宰府で都恋し、
と泣きつつ逝かれとか

彰子中宮は落飾され、
脩子内親王も仏門に入られた

定子中宮のおん子としては、
脩子内親王のみ、
お残りになったのである

ただ、敦康親王のおん子、原子(女偏)姫が、
ただいまおん年十歳で、
道長公のご長男の頼通の君に、
養われていらっしゃると聞くが、
どうぞご無事にお成人あそばし、
お幸せな生涯でいられるように、
と祈らずにはいられない

則光はどうしているやら、
死んだという噂はまだ聞かない

則光と仲のよかった私の兄、
致信は悪たれ侍らしく、
頼光の手下どもに攻められて、
斬り殺された

私もその場に居合わせて、
おそろしいことであった

危うく巻き添えになるところだった

こいつもやってしまえ・・・
とはやり立つ侍どもの、
白刃にかこまれ、
震えながらも、

「あたしゃ、女だよ
まちがえないでおくれ!」

と大声で叫び、

「それに尼なんだ!」

といいつづけた

やっとのことで、
放たれたが世間では、
そのとき私が前をまくって、

「この通り」

と見せたというようにいわれている

(清少納言らしい・・・)

と侮蔑とも憐憫ともつかぬ、
笑いの石つぶてを投げられた

引退して一人住みの私は、
世間の好奇のまとであるらしい

私が逼塞して暮らしていると思い、
人々は憫笑の目を向ける

このあいだも、
若殿ばらが数人、
私の家の前で車に乗り過ぎつつ、
声だかにいった

「ここがかの清少納言の、
住み家らしいぞ
どうだ、この荒れたさまは
時めいて誇り顔の才女も、
こう落ちぶれ老いさらばえては、
もうひと言半句も、
気の利いた言葉は出まいな」

「男を男と思わず、
傲慢にふるまった罰じゃないか」

「夫も子も持たぬ、
女の末路はこれなんだなあ」






          


(次回最終章)

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