・命婦は、
(まあ、あんなことを・・・
私を油断させておいて)と困ったが、
姫君がお気の毒になり、
といってどうしようもなく、
そのまま知らぬ顔で自分の部屋へ下ってしまった。
室内にいた若い女房たちは、
世に評判の高い源氏の姿を見とれるばかりで、
許しもなく押し入った無礼を咎めもしない。
ただ、姫君が全くそんな心用意は、
なくていられたろうに、
とみな気の毒に思ったが、
命婦同様、どうしようもなく、
すべり出てしまった。
姫君は動転して恥ずかしく、
きまり悪く思うばかりだった。
源氏は慣れたふうに、
そっと姫君を抱いたが、
姫君は呆然自失のていである。
それにしても、
あまりにも情緒がない。
どんなに情をこめても、
姫君から何の反応もなかった。
愛を交わしたあと、
いっそう恋心が募り、
女へのいとしさが湧く、
などということは夢にもなかった。
源氏にあるのは索漠として、
砂を噛むような味気なさばかりである。
夜も明けきらぬうち、
がっかりして帰った。
命婦は源氏の帰る気配を知ったが、
わざと見送らなかった。
二條の自邸にもどって源氏は寝たが、
実際、理想の女というものはないものだと、
つくづく思った。
しかしあの姫君は身分が重いので、
一回きりで打ち切りにするわけにもいかない。
しまった、
あんな女なら深入りするのではなかった、
などと悩んでいるところへ、
頭の中将がやってきた。
「これはまた、
わけありげな朝寝ですな」
「気楽な一人寝だから、
つい寝過ごしてしまった。
君は御所からの帰りなのか」
「そうです。
まだ邸へ帰っておりません。
朱雀院の行幸の日や楽人や舞人の人選が、
今日あるそうだと聞きましたので、
父に伝えようと退出しました。
またすぐ御所へ帰ります」
では一緒に、
と源氏も粥を取り寄せ、
中将と共にしたためた。
車は各自あったが、
一つ車に同車した。
「どうも眠たげにしていられる。
私にお隠しになっていられる事が多いに違いない」
中将は恨み言のようにいう。
その日は御所で決定されることが多くあり、
源氏は一日中詰めていた。
常陸の宮の姫君には、
手紙だけでもと思ったが、
夕方になってやっと使いを出した。
後朝(きぬぎぬ)の文は、
早いほど熱意がこもっているとされるのに、
夕暮になって来たのを命婦は、
姫君のためにいたわしく思った。
姫君は、
夕べの降ってわいたような大事件に、
混乱したままで、
まして文が遅いことを咎める気さえ、
ないようだった。
<夕霧のはるる景色もまだ見ぬに
いぶせき添ふる宵の雨かな>
と源氏の文にはあった。
雨にかこつけて、
来訪の意志がないことをほのめかされてある。
姫君の周囲の人々は、
辛い思いがしたが、
「お返事はなさいませ」
と口々にすすめた。
姫君は思い乱れていて、
とても書ける状態ではない。
侍従がまた気をもみ、
歌を代作した。
<晴れぬ夜の月待つ里を思ひやれ
同じ心にながめせずとも>
皆に責められて、
やっと姫君は筆を取る。
紫の紙の、
古くなって色もあせたのへ、
手蹟はさすがに力のある、
中古の書風で、
上下をりちぎにそろえて書いた。
源氏は見るなりがっかりして、
置いた。
いよいよまずいことになった。
たいへんなものをしょいこんだ、
と情けなくなる。
というのは、
源氏はひとたび女とかかわりを持つと、
無責任にすます性質ではないからである。
もし、しんからの浮気性であれば、
気に入らぬ女は、
打ち捨てて忘れてしまうであろう。
女の運命に自分もかかわりを持つと、
むげに交渉を断つことはできない。
それは源氏の誠実さであった。
仕方がない。
こうなった以上、
末長く面倒を見なければいけない、
と強いて気を取り直す源氏の心も知らず、
姫君の周囲のの人々は、
源氏を冷淡だと恨んでいた。
(次回へ)