むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

4、末摘花 ③

2023年08月05日 09時18分27秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・命婦は、
(まあ、あんなことを・・・
私を油断させておいて)と困ったが、
姫君がお気の毒になり、
といってどうしようもなく、
そのまま知らぬ顔で自分の部屋へ下ってしまった。

室内にいた若い女房たちは、
世に評判の高い源氏の姿を見とれるばかりで、
許しもなく押し入った無礼を咎めもしない。

ただ、姫君が全くそんな心用意は、
なくていられたろうに、
とみな気の毒に思ったが、
命婦同様、どうしようもなく、
すべり出てしまった。

姫君は動転して恥ずかしく、
きまり悪く思うばかりだった。

源氏は慣れたふうに、
そっと姫君を抱いたが、
姫君は呆然自失のていである。

それにしても、
あまりにも情緒がない。

どんなに情をこめても、
姫君から何の反応もなかった。

愛を交わしたあと、
いっそう恋心が募り、
女へのいとしさが湧く、
などということは夢にもなかった。

源氏にあるのは索漠として、
砂を噛むような味気なさばかりである。

夜も明けきらぬうち、
がっかりして帰った。

命婦は源氏の帰る気配を知ったが、
わざと見送らなかった。

二條の自邸にもどって源氏は寝たが、
実際、理想の女というものはないものだと、
つくづく思った。

しかしあの姫君は身分が重いので、
一回きりで打ち切りにするわけにもいかない。

しまった、
あんな女なら深入りするのではなかった、
などと悩んでいるところへ、
頭の中将がやってきた。

「これはまた、
わけありげな朝寝ですな」

「気楽な一人寝だから、
つい寝過ごしてしまった。
君は御所からの帰りなのか」

「そうです。
まだ邸へ帰っておりません。
朱雀院の行幸の日や楽人や舞人の人選が、
今日あるそうだと聞きましたので、
父に伝えようと退出しました。
またすぐ御所へ帰ります」

では一緒に、
と源氏も粥を取り寄せ、
中将と共にしたためた。

車は各自あったが、
一つ車に同車した。

「どうも眠たげにしていられる。
私にお隠しになっていられる事が多いに違いない」

中将は恨み言のようにいう。

その日は御所で決定されることが多くあり、
源氏は一日中詰めていた。

常陸の宮の姫君には、
手紙だけでもと思ったが、
夕方になってやっと使いを出した。

後朝(きぬぎぬ)の文は、
早いほど熱意がこもっているとされるのに、
夕暮になって来たのを命婦は、
姫君のためにいたわしく思った。

姫君は、
夕べの降ってわいたような大事件に、
混乱したままで、
まして文が遅いことを咎める気さえ、
ないようだった。

<夕霧のはるる景色もまだ見ぬに
いぶせき添ふる宵の雨かな>

と源氏の文にはあった。

雨にかこつけて、
来訪の意志がないことをほのめかされてある。

姫君の周囲の人々は、
辛い思いがしたが、

「お返事はなさいませ」

と口々にすすめた。

姫君は思い乱れていて、
とても書ける状態ではない。

侍従がまた気をもみ、
歌を代作した。

<晴れぬ夜の月待つ里を思ひやれ
同じ心にながめせずとも>

皆に責められて、
やっと姫君は筆を取る。

紫の紙の、
古くなって色もあせたのへ、
手蹟はさすがに力のある、
中古の書風で、
上下をりちぎにそろえて書いた。

源氏は見るなりがっかりして、
置いた。

いよいよまずいことになった。

たいへんなものをしょいこんだ、
と情けなくなる。

というのは、
源氏はひとたび女とかかわりを持つと、
無責任にすます性質ではないからである。

もし、しんからの浮気性であれば、
気に入らぬ女は、
打ち捨てて忘れてしまうであろう。

女の運命に自分もかかわりを持つと、
むげに交渉を断つことはできない。

それは源氏の誠実さであった。

仕方がない。

こうなった以上、
末長く面倒を見なければいけない、
と強いて気を取り直す源氏の心も知らず、
姫君の周囲のの人々は、
源氏を冷淡だと恨んでいた。






          


(次回へ)

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