「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「わたしの震災記」 ⑪

2023年01月22日 10時50分13秒 | 「ナンギやけれど」   田辺聖子作










・谷沢永一さんはいわれる。

「はじめはラジオ、電気がきてからはテレビで、
刻々の報道に接するにおよび、
災害の大きさに仰天するとともに、
あらためて我が国民の意識の高さに、
つくづく感じいった。

これだけ急激で極端な打撃を受けても、
やけになった暴動の気配もない。
だれ一人逆上してあばれ出さない。

なんと賢明にして粛然たる国民であろうか。
このはげしい不意打ちにも度を失わず冷静に対応する。

これは当り前のようで実に驚くべきことなのである。
諸外国がびっくりしたのも無理はない。

まずデマが飛ばなかったのがさすがである。
群集心理の動揺もおこらない。
錯乱した人を見かけない。
無法が横行していない。
誰も彼もが落ち着いていた。

関東大震災の折の大さわぎとは、
格段の違いである。

報道陣が大車輪でニュースを流し続けたせいでもあるが、
それにしても我が国民の人間としての立派さに、
頭が下がる。

テレビを通じて感動したのは、
公務員の強い強い義務感である。

自分自身が被害者であるのに、
潰れた家から出てきて職務を遂行するなんて、
壮烈な行為である。

我が国の秩序が保たれているのは、
献身的な公務員の職務に忠実な自己規律の姿勢なのである」

(1995・1・28 産経新聞)

ことわっておくが、
谷沢さんご自身も、被災者でいられる。

ところで皆の賞賛する被災者の沈着冷静につき、
私としては、(日本人の原型ということもあろうが)
やはり関西人の習性から来るものと思いたい。

全壊した家のことを、
<家も古いけど 地震の度が過ぎていた>
といえる上方人間のユニークな思考のおかしさから、
くるのであろうと思う。

上方人間はそういう、
自分の難儀を自分でおかしがるところがあり、
そのへんが発想の風通しのいい所以である。

地震から二週間ばかりたって私は、
まだ連絡のとれぬ知己友人たちを見舞いに、
アシスタント嬢と車で出かけた。

大阪と神戸を結ぶ阪神国道へ出る。

国道二号線、武庫川を挟んで東は尼崎、
西は西宮になる。

武庫川は「万葉集」にも出てくる古い清流で、
さかのぼると宝塚になる。

武庫川の手前、
尼崎市側の年数のたったらしい家々が倒壊しているが、
それは武庫川を渡って西宮へ入ると、
国道筋でにわかに多くなる。

国道から南へ一筋入ると更にそれは目立った。

完全に傾き、
白壁が剥がれ落ちて木組がむきだしになり、
屋根がすべり落ちて表札のついた門が倒れている。

その両側には新しそうな文化住宅ふうの建物と、
七、八階建のマンション、
これは何ごともなく洗濯物がひるがえり、
自転車や子供の三輪車、
バイクなどが入り口に置かれてある。

地震というのは同じ場所でも、
被害の差がはっきり出るようであった。

と思うと、町内すべて右に左に大きく傾ぎ、
なかの一軒家などはたまらず道路上に倒れ、
屋根も窓も斜めであった。

屋根は真っ二つに割れていた。
すさまじいありさま。

瓦礫のみ、というところもあった。
まだその時点では片づけられていなかった。

見たところ日本家屋の、
それも築何十年というような古い家、
瓦をびっしり乗せ、
(関西は台風が多いし、
夏の暑さのきびしい土地でもあるから、
厚い瓦で屋根をおおって家を保護するのだった)
その割に壁の薄い家が倒壊しやすいらしかった。

壁も昔のようにまともにスサから塗りこめて、
厚くしていればいいけれど、
現在はそんな手のかかる壁はなさそう。

それにしても、
簡便なスレート葺きの、
軽そうな家が案外残っているのは、
感慨があった。

芦屋へ入って浜側を走ると、
宏大な豪邸の、土塀と植込の木々はそのままでありながら、
邸はあとかたもなく瓦礫の山になっている。

大きな松の木のかげの、
あずま屋風の建物がぐらりと傾いで、
松の木によりかかっているのが見えた。

二十秒の地震で、一瞬に瓦礫になる。
なんというものすごい大地のエネルギーであろう。

まさしく<地震の度が過ぎる>。

ビルを突き倒し、高速道路を一撃で転倒させ、
電車の線路をねじ切ってぶつ切りにしてしまう。

道路を陥没させ、
波止場はもぎ取り、
煙突はへし折る。

人間が住んでいるんです。
人間が、そこで生きているんです。

しかも七十年八十年と生きてきた人間が。
<度>を過ごさないで下さい。






          


(次回へ)

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