むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

34、フツーの人生

2022年04月07日 09時17分31秒 | 田辺聖子・エッセー集










・数日来、春寒というのか、夜はよく冷え込む。
花冷えという歳時記があったっけ。

こういう日は外で食べたほうがいい、
というので、私はスッポン屋へ行った。

寒い日はこういうのがいい、
スッポン冷え、という寒さである。

ウチの近所である。
月が光って寒風に星は磨ぎすまされ、
春は名のみの風の寒さや、
プロとは名のみの締切の遅れや、と思いつつ、
まず熱燗で突き出しは、たけのこの木の芽和え、
なんて食べているのは、得もいわれず旨い。

スッポン屋の親父さんは、
「見たらあきまへんで」とカウンターの向こうで料理してる。

赤ワインに肝を入れたりして出てくるが、
日本酒の合間にワインなど飲むとよけい酔って困る、
まあ、それもよし。

丸鍋がぐつぐつ煮えて出てくる。

式亭三馬の「浮世風呂」に、
「アイ、上方ではスッポンを丸といいやす」という、
あれである。

スッポンは京都の「大市」に限るというなかれ、
あそこもおいしいが、郊外駅前の小店も何ともいえない滋味。

ゼロチンをしゃぶり、汁をあまさず吸う。
スッポンに思わず手を合わせ、
頂きます、ご馳走さまといいたくなるのである。

むごい殺生をして、人間は自分を活かし、
申し訳ない、頂きます、と手を合わせて食べる。

ある男性評論家の一人は、
オレは自分の働きで妻子を養っている、
だから妻子には、オレに向かって食事の前には、
頂きます、といわせているんだと豪語していたが、
ほんまにアホな男やと思うたよ、
誰が男に「頂きます」というねん。

天地万物、
生あるものを奪って生きないといけない、
人間の業を悲しんで、
まあそれをいちいちいうのも照れくさい、
そのへんの所は生ある者も分かってくれはるやろと、
勝手に合点して「頂きます」と、
スッポンや魚、牛豚野菜に手を合わせるのであろう。

まあ、そのぐらいおいしいのは丸鍋である。

その夜は丸鍋のおいしさと、
ある男性評論家のアホさかげんに精神の均衡が破られて、
そのまま就寝。

あくる日は別の締め切り日だが、
とにかく元気をつけなくちゃ、というので、
大阪は鶴橋まで焼肉を食べにいった。

近鉄の鶴橋駅を出たところ一帯、
韓国料理や焼肉屋が並んでいる。

焼肉屋はどこにもあるが、
ここはまわりの雰囲気がいい。

ガード下に屋台が出ていたり、
国際市場があったりして、
路地までもうもうと焼肉の煙が漂うているのがよい。

ここまで来たら、どの店でないといけない、
ということはない。お目当ての店はない。

いや、ほんとはあるのだが、
予約なしに行くとその店はたいてい行列して、
表で待っている。

懐石料理じゃあるまいし、
焼肉食べるのに予約までしていくことは、
ないやないか、というのが私の持論である。

予約するとその日に行かなくてはならない。
これが不自由だ。

決まってる締切さえ守れぬ身に、
なんで焼肉の締切が守れようか、
食べたい時に行けばよい、ってんで、
プイと出かける。

「いやあ、鶴橋も変りましたね」

私はついてきたカモカのおっちゃんに述懐する。

私は戦中戦後にかけて樟蔭女専に通学していたが、
その頃、省線といった環状線で鶴橋で乗り換え、
近鉄小坂駅まで通ってた。

土地カンはあるはずなのに、
最近はすっかり変わって、
来るたびに分からなくなってしまう。
完全にヨソ者になってしまった。

小さい店で、タタミに上がって、
テーブルの上のかんてき、
炭火がかんかんおこってるのへ、
ロースやカルビを焼く。

ビールを飲んでは焼き飲んでは焼き、
センマイやミノもしっかり食べて、
タレは甘すぎず辛すぎないと思ったが、
おっちゃんは唐辛子味噌をタレに入れ、
「これでフツーになりました」
なんていう。

鶴橋は終戦後すぐ大きい闇市ができて、
ホルモン焼きがさかんだった。

同人誌を友人たちとやってた若い頃にも、
私は鶴橋へよく飲みに来てたから、
むしろこの辺は、
キタやミナミより私の酒癖のルーツといえる。

ここへ来ると気取らなくてフツーに飲め、
食べられるのがよい。

そうして、フツーの人生でいるのがよい。
あんまり上等の人生も、見返りがこわい。
あんまりヒドイ人生も、世を恨み人を呪うことになる。

しかし、鶴橋で食べるキムチや、タンのたたき、なんてのは、
やっぱりフツー以上においしいのである。

そうか、外見はフツーでよいのだ。
一見パッとせん庶民やが、
ウチウチのところ、ほんまは旨いもん頂いとりますねや、
というのがフツーの人生の面白さであろう。

一見フツーで、中身は上等。
これがよい。
これでいこう。

そう思いつつ私は、
「カルビもう一皿!それにマメも下さい!」
と叫ぶのである。

今や締切は二つになっている。
仕方ない。

「それはフツーではない。
異常事態です。
外側も中身も気の毒人生。
おいしいもんもノドへ入りまへんやろが」

おっちゃんはいうが、
舌と締切は別なん、悪いけど。






          











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