・数日来、春寒というのか、夜はよく冷え込む。
花冷えという歳時記があったっけ。
こういう日は外で食べたほうがいい、
というので、私はスッポン屋へ行った。
寒い日はこういうのがいい、
スッポン冷え、という寒さである。
ウチの近所である。
月が光って寒風に星は磨ぎすまされ、
春は名のみの風の寒さや、
プロとは名のみの締切の遅れや、と思いつつ、
まず熱燗で突き出しは、たけのこの木の芽和え、
なんて食べているのは、得もいわれず旨い。
スッポン屋の親父さんは、
「見たらあきまへんで」とカウンターの向こうで料理してる。
赤ワインに肝を入れたりして出てくるが、
日本酒の合間にワインなど飲むとよけい酔って困る、
まあ、それもよし。
丸鍋がぐつぐつ煮えて出てくる。
式亭三馬の「浮世風呂」に、
「アイ、上方ではスッポンを丸といいやす」という、
あれである。
スッポンは京都の「大市」に限るというなかれ、
あそこもおいしいが、郊外駅前の小店も何ともいえない滋味。
ゼロチンをしゃぶり、汁をあまさず吸う。
スッポンに思わず手を合わせ、
頂きます、ご馳走さまといいたくなるのである。
むごい殺生をして、人間は自分を活かし、
申し訳ない、頂きます、と手を合わせて食べる。
ある男性評論家の一人は、
オレは自分の働きで妻子を養っている、
だから妻子には、オレに向かって食事の前には、
頂きます、といわせているんだと豪語していたが、
ほんまにアホな男やと思うたよ、
誰が男に「頂きます」というねん。
天地万物、
生あるものを奪って生きないといけない、
人間の業を悲しんで、
まあそれをいちいちいうのも照れくさい、
そのへんの所は生ある者も分かってくれはるやろと、
勝手に合点して「頂きます」と、
スッポンや魚、牛豚野菜に手を合わせるのであろう。
まあ、そのぐらいおいしいのは丸鍋である。
その夜は丸鍋のおいしさと、
ある男性評論家のアホさかげんに精神の均衡が破られて、
そのまま就寝。
あくる日は別の締め切り日だが、
とにかく元気をつけなくちゃ、というので、
大阪は鶴橋まで焼肉を食べにいった。
近鉄の鶴橋駅を出たところ一帯、
韓国料理や焼肉屋が並んでいる。
焼肉屋はどこにもあるが、
ここはまわりの雰囲気がいい。
ガード下に屋台が出ていたり、
国際市場があったりして、
路地までもうもうと焼肉の煙が漂うているのがよい。
ここまで来たら、どの店でないといけない、
ということはない。お目当ての店はない。
いや、ほんとはあるのだが、
予約なしに行くとその店はたいてい行列して、
表で待っている。
懐石料理じゃあるまいし、
焼肉食べるのに予約までしていくことは、
ないやないか、というのが私の持論である。
予約するとその日に行かなくてはならない。
これが不自由だ。
決まってる締切さえ守れぬ身に、
なんで焼肉の締切が守れようか、
食べたい時に行けばよい、ってんで、
プイと出かける。
「いやあ、鶴橋も変りましたね」
私はついてきたカモカのおっちゃんに述懐する。
私は戦中戦後にかけて樟蔭女専に通学していたが、
その頃、省線といった環状線で鶴橋で乗り換え、
近鉄小坂駅まで通ってた。
土地カンはあるはずなのに、
最近はすっかり変わって、
来るたびに分からなくなってしまう。
完全にヨソ者になってしまった。
小さい店で、タタミに上がって、
テーブルの上のかんてき、
炭火がかんかんおこってるのへ、
ロースやカルビを焼く。
ビールを飲んでは焼き飲んでは焼き、
センマイやミノもしっかり食べて、
タレは甘すぎず辛すぎないと思ったが、
おっちゃんは唐辛子味噌をタレに入れ、
「これでフツーになりました」
なんていう。
鶴橋は終戦後すぐ大きい闇市ができて、
ホルモン焼きがさかんだった。
同人誌を友人たちとやってた若い頃にも、
私は鶴橋へよく飲みに来てたから、
むしろこの辺は、
キタやミナミより私の酒癖のルーツといえる。
ここへ来ると気取らなくてフツーに飲め、
食べられるのがよい。
そうして、フツーの人生でいるのがよい。
あんまり上等の人生も、見返りがこわい。
あんまりヒドイ人生も、世を恨み人を呪うことになる。
しかし、鶴橋で食べるキムチや、タンのたたき、なんてのは、
やっぱりフツー以上においしいのである。
そうか、外見はフツーでよいのだ。
一見パッとせん庶民やが、
ウチウチのところ、ほんまは旨いもん頂いとりますねや、
というのがフツーの人生の面白さであろう。
一見フツーで、中身は上等。
これがよい。
これでいこう。
そう思いつつ私は、
「カルビもう一皿!それにマメも下さい!」
と叫ぶのである。
今や締切は二つになっている。
仕方ない。
「それはフツーではない。
異常事態です。
外側も中身も気の毒人生。
おいしいもんもノドへ入りまへんやろが」
おっちゃんはいうが、
舌と締切は別なん、悪いけど。