・今日びぐらい、
食べ物について人が論評し、
それをまた皆が喜んで聞き、
あちこちと味覚を開拓し、というように、
食文化さかんなる時代はないと思うのに、
そのわりにお粗末な店もまた、どんどん増えてる。
食文化なんて、
ほんとにいまの日本にあるのか。
ことに、たべもののチェーン店、というのが、
私にはかなわない。
いや、フライドチキンやハンバーガーは、
私にとっては関係ないので、
そういうのはかめへんのです。
いくら増えても。
しかし食事をゆっくりとりたいとか、
ついでにお銚子もらってお酒も楽しみ・・・
という店が、この食文化全盛の現代、
もっと増えてもいいはずなのに、
減っていくばかりである。
小資本は減り、
大資本のチェーン店ばかり増えていく。
私は、小さい店の、
おいしいものを提供するところがもっと増えなければ、
ほんとの大人の食文化といえないと思う。
それが屋台に毛の生えたような店にしろ、
そこの親爺さんと店の雰囲気が好きで、
そこへいくのを人生の楽しみの一つにしている、
そんな店がうんと増えてほしいが、
増える所か、だんだん少なくなるようである。
こういう店は、客により反応が違うから一人にはよくても、
別の人には適わないということもあろうが、
もし適ったとなると、まことに嬉しい。
たまに店が休みだったりすると、
次の日は、常連客に、親爺はぼろくそに叱られている。
「何してんねん、休みなや。
がっかりさせてくれるなよ」
「すんまへん。身内の不祝儀でちょっと」
「そんなん、どっちゃでもエエ、
おっさん休むのはゆるせん、ちゅうねん」
「へへへ・・・」
なんてことになるが、これは要するに、
我々は親爺っさんの料理を食べに行きたいのであって、
親爺っさんと料理は、切っても切れないというところ。
何も余計なことはしゃべらず、
殊更親しいのではないが、
その存在があるから安心して食べられるというもの。
従業員がたくさんいても、
ともかく親爺っさん、大将というのがいれば、
店中にピッと神経が張りめぐらされるであろう。
ところがチェーン店というのは、
とにかく「大将」がいないので困ってしまう。
たいてい、店長というのがいるが、
これが実に若い。
広い店内を飛鳥のように飛び回り、
「いらっしゃいませ」
「何人さまですか」
なんてやったり、
調理場との取り次ぎをしたりする。
眼鏡なんかかけて私大出身風。
カウンターの向こうには、
職人風の板場さんがずらりと並び、、
これが実に人数が多くて、
また別の支店と入れ替るのか、
それとも休日振替なのか、
多彩な顔ぶれ、
いつ行っても違う顔ぶれである。
チーフとか主任とか係長とか、
互いに呼び合い、呼び名も多彩である。
中へ入れば階級もあるんだろうけど、
どれが責任者ということなく、
無個性に並んでいる。
「ここでご自慢の料理は何かね」
なんていう客があると、
熱のない口ぶりで、
「みなよろしです」なんていう。
店の奥の方は、
一階、二階とも畳敷きになっていて、
ワイワイというさわぎ、
これは表に札のかかっている団体客である。
こけつまろびつ、
女の人が団体客の料理を運んでいる。
「茶碗蒸し十三人前」
「盛り合わせにぎりを五ついうたのに、
三つしか来えへん、いうてはるけど」
火事場のさわぎ。
しかもこの喧騒のうちに、
見習いさんというような少年が、
電話で受けた注文を配達に行く。
手拭きのおしぼりがほしいと思っても、
誰にいっていいのか分からない、
お銚子もう一本と思って、
通りすがりの店の人にいっても、
「すみません、あっちへいうて下さい」
責任者という人の見当たらない店内は、
中心がなく、
どことなくとらまえどころがなく、
やたら忙しいばかり、
そのうち、お銚子を別々の人が持って来て、
重複して通ってたり、
こっちの注文が別の人のところにいってたり。
さて、帰ることになる。
帰るときに板前さんは、
「ありがとうございました」といってくれるが、
お金を扱わないから、どこか上の空である。
レジはまた別の人で、
これは料理を扱わないから、
「ありがとうございます」も、
やはり上の空である。
これが親爺っさんのいる店であると、
自分の料理を食べた客がどんな反応を示して、
どうやって金を払うかをちゃんと、
見届けられる。
だから「ありがとうございました」も、
心から出るというもの。
やっぱり大将の居らぬ店、
というのは困るのですよね。
チェーン店の大将というのは何してはるのか、
帳簿と銀行だけを相手にしてるのであろうか。
店を出るが早いか、
何を食べたか思い出せないという、
砂を噛むようなあじけなさ。
「なあに、近ごろの若いもんは、
そんな風にドライな店のほうがよろしねん。
なまじ店の人とモノいうたり、
近間で食わんならんというと、
困ってしまう人が多い」
カモカのおっちゃんはいう。
「なるべくモノいわんですむ店のほうが、
若い人にははやると思いますな、
無個性な店員のほうが受ける」
しかし私の見たところ、
チェーン店に入ってる中年者もかなり多い。
中年者も「大将」のいる店なんか要らん、
責任者も中心も要らん、
何となくそれらしく食べ物飲み物が出りゃいい、
と思っているのであろうか、
いまの日本の食文化の程度は、
あまり高くないというゆえんである。