「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

35、夕霧 ④

2024年03月23日 07時53分01秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳





(今朝は雨、写真は昨日の霧の朝)







・こんな朝帰りを、
夕霧はしたことがない。

三條の自邸へ帰ったらまた、
妻の雲井雁に怪しまれる、
と思って六條院の、
東の御殿へ帰った。

ここは花散里の住居で、
母親代わりの彼女は、
夕霧の着るものもそろえていた。

夕霧は宮に手紙を書いたが、
宮はご覧にもならない。

宮は侮辱されたように、
腹を立てていらっしゃる。

母宮が何もご存じないのが辛く、
かといって自分からは、
恥ずかしくて言えず、
悩んでいられた。

この宮は、
母宮とたいそう仲のよい、
母子でいらした。

女房たちは、
返事をすることをすすめる。

夕霧の手紙は、
やさしいものだったけれど、
女房たちは遠慮して見ることも、
できない。

宮と夕霧のあいだに、
あの夜、
どんなことがあったのか、
誰にも本当のことはわからない。

そのころ、
母君の御息所の病床では、
加持をしている阿闍梨が、
いろんな話のついでに、

「そういえば、
夕霧大将の君は、
いつごろからこちらに、
お通いになっておられますか」

と聞いた。

「そんなことはございません。
夕霧の君は、
亡き柏木大納言の、
親友でいらしてお見舞い下さる、
のでございます」

御息所は答えられた。

「いやあ、
私にまでお隠しになることは、
ないではございませんか。
今朝、
後夜のお勤行に参りましたとき、
男の方が出て来られました。
霧が深くて、
見分けられませんでしたが、
法師たちが口々に、
『夕霧大将殿が帰られる』
と申しておりました。
しかし、
このご縁はいかがなものでしょう。
夕霧大将殿のご本妻のご威勢が、
強いですから、
お子さまも七、八人おありに、
なるはず。
ここの姫君でも、
ご本妻をしのぐことは、
お出来になれますまい。
私はこのご縁に、
賛成できません」

とずけずけと言い放つ。

「おかしな話です。
そんな事実はございません。
夕霧大将の君は、
私を見舞って下さったのです。
あの方はたいそう真面目な方で、
そんなそぶりはお見せに、
なりません」

御息所はおっしゃりつつ、
しかし、
思い当たられるふしも、
ないとはいえない。

律師が立ったあと、
近しい女房を呼ばれた。

「昨夜の話を聞きました。
どういうことだったのです?
まさか宮とのあいだに・・・」

女房は、
ご病気の御息所に心配を、
かけるのがおいたわしかった。

「いえ、別に何も。
ただ夕霧大将の君が、
お心のうちを、
宮さまに直々にお話なすった、
というだけで、
間の障子も閉めてございました」

「でも、夕霧大将の君が、
帰られるお姿を、
口さがない人々が、
見てしまいました。
世間にはよくない噂が、
立つでしょう。
たとえ潔白であったとしても、
誰が信じますか?
宮さまをここへ、
お呼びしておくれ」

御息所は、
ほろほろと涙を流して、
お泣きになる。

宮は母御息所が、
お呼びになるままに、

(お母さまは、
どう思われるかしら?
まわりの人々も、
夕霧大将とわたくしとの間に、
何かあったように、
思っているに違いない)

そう思われると、
いつものお癖で、
のぼせてしまわれ、
臥しておしまいになる。

「御息所には、
障子はしっかり閉めて、
ございました、
と申し上げてました。
もしお問いになりましたら、
宮さまも同じように、
お答えなさいませ」

と女房はいう。

潔白だったけれど、
かりにも皇女の身分で、
男にそばまで来て、
言い寄られるような、
隙を見せてしまったと、
とり返しのつかぬように、
嘆かれる。






          


(次回へ)

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