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(今朝の桜の様子)
・鈴虫の音を聞きながら、
源氏は宮に低くささやく。
「こんなお姿のあなたを、
見ようとは・・・
悔やんでも悔やみきれない」
宮は困惑して、
面をそむけていらっしゃる。
お側の尼たちは、
遠慮して退がっている。
降るような鈴虫の音だけが、
周囲を埋め尽くす。
「あなたをこんなお姿にして、
どんなに私は、
あなたを愛していたかが、
わかりました。
おろかなことです。
取り返しのつかぬことを、
してしまった・・・」
宮は、
お返事もおできになれない。
源氏はあのころ、
人前でこそつくろっていたが、
内々では宮を厭わしく、
憎く思っていたことは、
誰よりも宮が一番、
ご存じでいらっしゃる。
生まれた薫にも冷淡だった。
宮はもう二度と、
源氏には会えない、
というお気持ちになられ、
出家を決心なさったのである。
源氏とはもう、
縁が切れた、
これで心も安らかに、
日々を送れようと、
思っていらしたのに、
またこんなことを言われるのは、
宮には辛く、
苦しく思われる。
月は明るく照り、
源氏が弾きはじめた琴の音に、
宮は耳を澄まされる。
源氏が人生でかかわりを持ち、
恋い焦がれ苦しめられた女人は、
すでにもう何人か、
こういう風に尼になって、
世を捨てた。
女三の宮、
尚侍の君、
朝顔の斎院、
はかなく消えた昔の恋。
十五夜なので、
月見の宴があるだろうかと、
兵部卿の宮が夕霧たちと、
共に来られた。
「お琴の音を、
たずねて参りました」
源氏は喜んで席を設ける。
いつか、
殿上人も次々やってきて、
虫の音の品定めや、
琴の合奏に宴が高まった。
「今宵は鈴虫の宴、
ということにして、
飲み明かそう」
酒がめぐったころに、
冷泉院(源氏と継母、藤壺の宮の御子)
からお便りが届いた。
「名月を一緒に見ませんか」
畏れ多いお召しである。
急いで一同は車を連ね、
冷泉院へ参上した。
月は高く、
夜更けの空の風情は面白い。
前駆もひかえさせて、
しのびの参上。
冷泉院も御位をお降りになって、
今は閑静にすごしていられる。
源氏の参上をたいそう喜ばれた。
源氏は夕霧や明石の女御に増して、
冷泉院のことを深く、
思っている。
しのびやかな鈴虫の宴が、
思いがけず、
にぎやかな月見の宴となった。
源氏はそのあと、
中宮(六條御息所の姫君、冷泉院中宮)
の方へ参上した。
中宮には、
強い希望がおありになる。
それは出家のお望みである。
御母御息所が怨霊となって、
いまも人々の噂にのぼることを、
悲しく辛くお思いになり、
今はご自分が尼となって、
母君の罪障の業火をを、
しずめてさし上げたい、
と思し召すらしかった。
源氏はひたかくしにしていたが、
いつか世にひろまり、
中宮のお耳にも入ったらしかった。
源氏はさもあろうと、
いとおしかったが、
「罪障はどの人も、
免れぬところなのです」
とお慰めする。
「いますぐ御位をお捨てになっても、
あとへ悔いのみ残り、
母君をお救いできるとは、
限りません。
お苦しみがせめて少しは、
晴れますように、
ご供養をひたすらなさいましたら、
いかがでございますか。
そう申す私も、
いつかは心静かな勤行生活をして、
後世を願うとともに、
母君のご供養もしたいと思いつつ、
なかなか浮世のほだしに、
しばられて思うに任せませぬ」
中宮といい源氏といい、
まだこの世を捨てられる身では、
なさそうであった。
源氏は明石の女御も夕霧も、
わが子として可愛く、
深く満足しているが、
この冷泉院に寄せる心は、
それらを上回って深かった。
冷泉院も、
久しぶりに源氏に会われて、
しみじみとあわれ深い思いで、
いられた。
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(了)