むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

27、姥ちっち  ⑤

2021年11月21日 08時59分14秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・「簡単やないか。
遺産放棄します、いう一札入れたら、子供さんら、安心しはるのやろ」

「ですけど、妻の権利、というものもございます。
もし将来、主人がボケたりしたら、介護するのは私でございますから、
遺産放棄、というのは納得しがたい、と・・・」

脱欲は中々難しいようである。

「奥さま、どうお思いになります?
私、こんなみにくい争いに堪えられませんわ」

堪えられなければ、別れるとか、
金は要らぬと言えば済むことなのに・・・

早苗は急に朗々と、

「世の中は・・・」

「あっ!ビックリした」

「すみません、これ、最近の感慨でございます。

「<世の中はきびしかりけりつめたかり 乙女心のままなる我に>」

「なるほど」

「欲得を・・・」

「まだあるのかいな」

「<欲得をはなれてつくすまごころを 金づちでかたをつける人々>」

どうやら、ドクダミ風呂の効果もなく、
腰がまたちくっちくっと痛んでくる。


~~~


・その宿屋は二階建てで、
玄関を出ると二、三十歩で湖水の岸辺に出られる。

湖岸沿いに白樺林に入って行く。
日中は暑く、セミの声が降る。

八月を過ぎた湖畔は学生たちの姿もなく、
芙蓉荘という宿屋は料理もいい、というので、
飯塚夫人が知り合いから紹介された宿であった。

一名、芙蓉湖といわれる野尻湖は、
その形が芙蓉の葉のように人のてのひら形をしているから。

雪をかぶった戸隠山が右手に見え、妙高山が続く。
若い人の多い盛り場から離れていて、静かである。

私は腰痛もすっかり癒えたので、
飯塚夫人に信州旅行のお誘いの手紙を出した。

今度は飯塚夫人の方が行けなくなってしまった。

「二年と三ヶ月でした」

飯塚さんが再婚した「お父ちゃん」は、
急性心不全で逝ってしまった。

「短かったけど、楽しかったですわ。
お葬式の日、息子さんら、あたしをお棺のそばへ、
ず~っと付き添わせてくれはって、
毎日、仏壇のお父ちゃんとおしゃべりするのが楽しみで、
しばらくは世間とのお付き合いもお休みしていたい、
そのうち、また必ず、お仲間に入らせて頂くから」

ということだった。

その飯塚夫人の話を早苗にしてやったら、

「もう入籍の、遺産のと、紙切れ一枚、
どうなってもエエ、と言う気になりました」
 
やっと「脱欲」になったようである。

「奥さま、この頃の私の歌をお聞きくださいませ」

またかいな。わるい子ではないが、
下手くそな腰折れ歌で私を悩ますのは、何とかならぬものか。
「脱歌」というのはないのであろうか。

「<毎日がデートの如し君といる 日々をいとしみ貴みて生く>」

「結構やないか」

デートの相手のいない私は憮然とする。

彼女は浮き浮きと電話を切ったが、
人は幸福なときはやって来ないものである。

私はゆっくりと腰をかばいながら、湖畔の道を歩く。
やっぱり来てよかった。

ヴェネチアにはもう行かれないかもしれないが、
こうして、国内の旅なら出来る。

おトキどんがいてくれる。

白樺の林には、こまかい羽虫や、こまかいクモの糸が顔にかからぬよう、
ジャン・パトゥのオードトワレを一吹きした白いローンのハンカチを、
時折、顔の前で振りつつ進む。

今日は薄いピンクのサマーセーターに同色のカーディガン、
白いスカートといういで立ち。

♪山の淋しい湖に・・・♪という高峰三枝子の唄が口にのぼってくる。
私の鼻唄に合わせ、秋になっても元気な小さいセミが、
林の奥で、ちっち、ちっち、と虫のようにせわしく鳴きだす。

要するに、まだまだこの世に生きていていいようなものらしい。






          


(了)

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