「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

12、澪標 ⑦

2023年10月12日 08時56分12秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・いま、天下の政治は、
源氏と太政大臣の二人の思うままであった。

権中納言(親友、昔の宰相の中将)の姫君が、
八月に冷泉帝の女御として入内された。

祖父の太政大臣が世話をされ、
儀式など立派になさった。

兵部卿の宮の中の姫も、
入内させようと準備しているらしい。

源氏は藤壺女院の兄君でもあり、
親身に世話すべきであろうけれど、
そ知らぬ風をしていた。

まだ少年でいられる冷泉帝のご結婚について、
源氏がどんなもくろみを持っているか、
誰にもわからぬこと。

その秋、
源氏は住吉へ詣でた。

住吉の神にたてた数々の願の、
叶えられたお礼まいりだった。

盛大な行列になって、
世間の噂でもちきりになった。

ちょうど明石の君も、
毎年の例の住吉詣でをするところ、
去年今年と、
妊娠、出産でかなわなかったので、
それで久しぶりに思い立って、
船でお詣りした。

住吉の岸に船をつけて、
ふと見ると、渚はたいへんな騒ぎである。

参詣の人々は満ちあふれ、
奉納の宝物を捧げる人々が続く。

「どなたさまのご参詣でございますか」

明石の君の供人が尋ねると、

「内大臣さまの、
御願ほどきに参られるのを、
知らない人がいるもんだね」

と、とるに足らぬ下人まで、
得意そうに嘲笑する。

(まあ、なんてことかしら・・・)

明石の君は悲しくなった。

(選りにも選って、
あの方と同じ日に参詣だなんて、
あの方のお姿を遠くからしか拝めない、
わたくしの身分を思い知らされるなんて、
わたくしはあの方と縁の深い身でありながら、
こうも盛んなご参詣のお噂も知らず、
うかうかと出てきたのだわ・・・)

明石の君は、
あわれな自分に涙ぐまれるのだった。

明石で見知っただれかれが、
そのころとは打って変って、
花やかにときめいている。

良清までが、いまは衛門の佐。

身分高い殿ばらが、
派手に着飾り、伊達を競っているありさまは、
明石からきた田舎者たちの目には、
壮観であった。

明石の君は、源氏の車を見るのも辛かった。

源氏の若君・夕霧も大切にかしずかれ、
装束も立派だった。

それにつけても、
明石の君は、
同じ源氏の子供ながら、
わが生んだ姫君は物の数にも入らず、
はかないありさまなのが悲しかった。

住吉のみ社の方を向いて、

(どうかちい姫にも、
幸せをお授けくださいまし)

と祈らずにはいられなかった。

(こんな立派なご参詣にまじって、
数ならぬ身がいささかの捧げものをしたとて、
神さまは目にも止めて下さらぬであろう。
といって、明石へ帰るのも心のこり、
今日は難波に船を止めて祓えだけでもしよう)

明石の君の乗った船は、
淋しく住吉の浜を離れた。

源氏は、
そんなことを夢にも知らなかった。

源氏はその夜一夜、
神の喜びたまう神事のかずかずをつくし、
にぎやかに夜を明かした。

「昔のことを思うと、
夢のようでございます」

と惟光が感無量に言うのへ、

「あの嵐の怖ろしかったこと。
住吉の神へ、たすけたまえ、
と念じたのをお聞き届け下された」

源氏はしみじみいう。
惟光は続けて、

「じつは・・・」

と、明石の君が、
源氏の参詣のにぎわしさに気おくれして、
そっと離れていったことを告げた。

「そうか、知らなかった。
かわいそうに・・・
あれとは、住吉の神のおみちびきで、
めぐりあえた仲ではないか」






          


(次回へ)

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