・伊予の介は、
日頃、左大臣家一門の恩顧を受けているので、
上洛すると源氏の二條邸へ、
まず伺候するならわしになっている。
伊予(愛媛県)から船旅を続けてきたので、
日焼けして、やつれた旅装束のまま。
ぶこつな中年男だが、
家柄もよく、
さすがに人品いやしからぬ、
落ち着いた態度。
源氏は空蝉のことがあるので、
罪の思いにうしろめたく、
伊予の介に向き合っているのが、
きまり悪く思われる。
考えてみると、
空蝉は、源氏と一度は恋の夜を持ったものの、
そのあとはつれなくあしらい続け、
源氏はそれを恨んだが、
この夫のためには、
しおらしい心根の妻というべきであろう。
「このたび、
娘は結婚させ、
妻を任地へ連れてまいる所存でございます」
伊予の介はいい、
源氏は、
では空蝉は伊予へ下るのかと、
今更のようにせきたてられる恋心をおぼえた。
小君をそそのかして、
「いま一度逢瀬を」というが、
空蝉は夫のいない時でさえ、
心強くあらがったものを、
まして夫が側にいる身ではとても、
とかたくなに拒みつづけている。
しかし空蝉は、
このまま源氏に忘れられてしまうのも悲しいので、
折々の手紙には簡単な返事を書いている。
源氏はその文のやさしい情趣に、
いまもひかれる。
何とゆかしい女だろう。
もう一人の継娘の軒端萩のことは、
たとえ夫ある身になっても、
言い寄ればなびきそうに思え、
源氏はみくびっているところがある。
何日かして惟光がまた、
五條の女について報告してきた。
「どうも素性がよくわかりませんが、
この間、表の道を先払いの声を立て、
過ぎる車がございました。
女の児が、
『右近さま、中将さまがお通りになります』
などと叫んでいます。
車の主は直衣姿で、
随身たちもおりました。
随身たちの名を誰々と言い立てましたが、
頭の中将さまの随身の名前のようで・・・」
「さてこそ、
中将がいつぞや話していた、
姿を隠した撫子の女というのは、
それではあるまいか。
惟光、
ひとつうまく工夫して、
渡りをつけてくれないか」
惟光は、
自身も好色家で、
こういうことにかけては、
この上なく興趣を持ち、
また細工がうまいのである。
彼はその家の女房と心安くなり、
うまうまと源氏を、
女あるじのもとへ通わせることに成功した。
女の素性はわからぬまま、
源氏自身も身分をかくしている。
できるだけ質素にして、
車にも乗らず、
惟光の馬に乗り、
惟光は徒歩で供をした。
源氏が身分をかくしているので、
女あるじについている女房たちも不安で、
源氏の一行をつけたりするが、
源氏はたくみに、あとをくらましてしまう。
そんな危ない思いをしてまで、
源氏は五條の女を、
夕顔の花の縁にひかれて出会った女を、
忘れられない。
(次回へ)