「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「残花亭日暦」  21

2021年12月22日 09時06分40秒 | 「残花亭日暦」田辺聖子作










2002年(平成14年)


・1月20日(日)

今日、初七日だが、法要は葬式の時に併せて済んでいる。
近来はどこも、そのようになさるよしである。

十五日が通夜、十六日が葬式、
日記なんて書いてるひまはなかった。

自宅と西宮山手会館、あとはタクシー、
そして来て下さった方々への挨拶ばかりで、
埋め尽くされた時間。

十五日の新聞に死亡記事が出たので、どっと弔電が届く。
二百八十通あまり。なつかしい名もあった。

彼と共通の古なじみの名もあって、
「パパ、見て見て、〇〇ちゃんから来た!」と言いたくなり、
怱忙の中、笑いたくなった。

笑う、といえば、葬儀社との打ち合わせで、
決めないといけないことがあった。

葬儀のスタイルや飾りつけのクラス、
式の間じゅう流すBGM、
これは小学唱歌の「おぼろ月夜」「ふるさと」「冬景色」、
の三曲をメドレーで、などは指定してあったが、
祭壇に飾る写真がまだだった。

私は、あるパーティに際し、彼が呵々大笑している写真を選んだ。
自分が笑うのも、人が笑うのを見るのも好きな男だった。

いちばん小さなミッコに、
「お父ちゃんの好きなのは、笑い声」と教えた彼。

しかし、その笑いは、嘲笑や憫笑ではない。
優越感からでもなく、苦笑、冷笑でもないのは無論である。

赤と黒の格子のシャツ、青いセーターという若者風のいでたち。
彼は年相応の格好が似合わない男で、
ヨーロッパ紳士よりもアメリカ青年風で決めた方がぴったり。

着るものはみな、私が見立てている。

老来、いよいよ寛闊な身なりを好むようになり、
ネクタイなどは無用の長物となりはてた。

仕事も辞めてからは、腕時計、ライターなど、
ブランド品であれ何であれ、欲しがる人にみな与えてしまう。

そんな彼には、人生のしめくくりに、
格子縞のシャツと空色セーター、なんて軽装がぴったりだ。

五分刈りの短髪、太いまゆ、
ふだんはどんぐり眼が、大笑いしているので細められて、
口が大きく開いて、上下の白い歯といい配色。

こんな写真を葬式の祭壇に飾るなんて。
私も、世外人だから、いいか。
世捨て人ではなく、世間の決まりの外で生きてるもんな。

ミド嬢も弟もこの写真に賛成してくれた。
「義兄さんらしい」と弟も言う。

通夜に東京から出版社の重役さんがたが見え、恐縮した。

「明日、十六日は芥川賞、直木賞の選考会なので、
申し訳ありませんが、お葬式には参れません。
せめてお通夜に、と」

とねんごろなご挨拶。

「私こそ、直木賞選考委員の一人なのに、欠席になってしまって」

とお詫びする。仕事がらみの話も出て忙しい。

通夜は七時に終わり、二階で身内一同食事をとる。
宿泊施設になっているので、遠方のチュウやミッコは泊るという。

明日もあるから、と皆に言われて帰宅。
老母についていてくれるTさんが玄関を開けてくれ、

「お疲れさまですね。
おばあちゃまはもうお寝みです」

老母は疲れを案じて葬式に出席させないつもり。

(そうだ、喪主挨拶をしなきゃいけない)と思い出した。
葬儀社の人に、どのくらいの時間しゃべるのですか、
と聞くと、二十分くらいですね、と、そりゃ長い。

イスが足りなくて起っている人もいるだろうし、
短い方がいい。

まあ、何にせよ、呵々大笑の写真を掲げる以上は、
彼の懐抱する人生観くらいはしゃべらないと。

といっても、同業の医師(せんせい)や学友たちも、
来て下さるかもしれないから、あまりおふざけがすぎては、
(物書きはあんなものか)と思われ、
日本文芸家協会の品位を汚す、というものである。

「何を話すかなあ、おっちゃん」

私は葬儀場の棺の中の彼に言う。

「こら~。ちゃんと笑いとれよ~っ。
ワシの葬式じゃ。笑うてナンボ、ちゅう奴よ。
笑わしたらんかい」と彼。

笑わしたらんかい、というのは、
笑わせてやれの命令形を大阪弁風におちょくったもの。

「死者(死んだもん)がナニ言うとんねん!」

「うらやましかったら、早よ、来んかい」

ベッドで思い出したのは一茶の句だった。

<露ちるや むさいこの世に 用なしと>

まるでおっちゃんの心境じゃないか。

<生きのこり 生きのこりたる 寒さかな>

これは私のことを言ったみたいな一茶の句。

そして私の句は、司馬遼太郎さんに捧げた句。

<男みな なに死に急ぐ 菜の花忌>






          


(次回へ)

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