・シアヌーク殿下は救国の明主のように日本でも喧伝され、
カンボジアの奇蹟的平和はゆるぎなく、
永遠につづくように思えていた。
そして実際に来てみたカンボジアは、
まさに平和を凝縮したらこういう味わいだろうと思わせた。
プノンペンの町には自動車もあるが、
シクロと呼ぶ輪タクが多い。
自転車の前に幌つきの腰かけ台がある。
それに乗って木陰の多い並木道をゆくうちに、
町は典雅なたたずまいを見せ、
さまざまの貌をあらわす。
はだしで天秤棒をかつぎ、
ミカンのような果物を売る男もあった。
白い夏服の男、
ブラウスに腰布の女。
カンボジア人は大きな黒い瞳を持ち、
唇は厚く、ひきしまっている。
鼻はゆったりと横に拡がっているが、
この鼻は大きい瞳と厚い唇によく調和して美しい。
あとでアンコールトムのバイヨン廟のテラスに上がったとき、
周囲にある巨大な石像の顔が、
シェムレアプのレストランのボーイの顔にそっくりだったので、
一驚した。
アンコールの人面像のような青年が、
町いっぱいに歩いていた。
プノンペンで泊ったホテルは「ホテル・ロワイヤル」、
プノンペン発祥の地といわれる、
プノムの塔に近い、格式あるホテルである。
クリスマスは過ぎていたが、
庭の木々には赤や青の色電球がついていて、
夜はそれが風に揺れていた。
古いヨーロッパの匂いのある、
上等のホテルだった。
従業員はカンボジア人だが、
親切で礼儀正しく、
いつもどこからかしら、
私たちを見ていた。
この国では、
ホテルの部屋に現金を置いても、
決して盗まれることはない、といわれるが、
ほんとにそういう雰囲気だった。
部屋のベッドには、
白いチュールの蚊帳があり、
古びたいい家具があった。
明け方、近くのお寺の鐘が鳴り、
朝風に蚊帳が揺れると、
ヨーロッパでもアメリカでも感じなかったような、
旅情をおぼえた。
そして次の予定地、
シェムレアプ市へ向かった。
アンコールワットは、
この町から北方七キロばかりのところにある。
シェムレアプは外国人観光客でいっぱいだった。
広大なグランドホテルの前庭に輪タク(シクロ)が群れていて、
二人乗りが、一日貸し切りでたしか、二百リエル、
二千円くらいだった。
高いのか安いのか分からないが、
観光バスに乗って廻るより面白いだろうと、
輪タクで行くことにした。
大晦日だったが、
灼けつくような陽光で、
アンコールワット一帯はジャングルである。
参道前にはいいホテルもあるが、
並木道をシクロで朝早く駆ける快さは、
いいようがない。
陽光がちらちらして、
水牛の群れをいくつも追い抜いてゆく。
森の匂いを楽しんでいるうち、
やがて信じられぬほど巨大な石の殿堂に向き合う。
それが塔門である。
十三世紀に造られ、
やがて十四、五世紀にはこの都は放棄される。
ジャングルが都を包み、
1861年にフランスの一学者に発見されるまで、
眠っていた死の寺院や王宮。
遺跡というと、私は奈良の石造物を思い浮かべる。
石舞台や鬼のまな板、鬼の雪隠、益田岩船などを連想するが、
それらはアンコールの建造物の前では、
ただの小さな石ころになってしまう。
とにかく、大きくて優美で威厳のある、
石の建物だった。
(次回へ)