「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

1、空蝉 ①

2023年07月11日 08時49分55秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・光源氏、光源氏と、
世上の人々はことごとしいあだ名をつけ、
浮ついた色ごのみの公達、
ともてはやすのを、
当の源氏自身はあじけないことに思っている。

彼は実は、
まめやかでまじめな心持の青年である。

帝の御子という身分柄や、
中将という官位、
それに左大臣家の思惑もあるし、
軽率な浮かれごとはつつしんでいた。

それなのに、
世間でいかにも風流男のようにいうのは、
特に女のあこがれや夢のせいである。

彼の美貌や、その誌的な生い立ち、
源氏は、
帝と亡き桐壺の更衣との悲恋によって生まれ、
物ごころつかぬまに、
母と死に分かれたという薄幸な運命が、
人々の心をそそるためらしかった。

帝にはあまたの女御やお妃がいられたが、
誰にもまして熱愛されたのは、
桐壺更衣であった。

他の後宮の女人たちの、
嫉妬やそねみはいうまでもない。

心やさしい桐壺更衣は、
帝のご愛情だけを頼りに生きていたが、
物おもいがこうじて病がちになり、
ついにはかなく、
みまかってしまった。

帝のお悲しみはいうまでもない。

更衣の遺した御子は三歳で、
光り輝くような美しさだった。

母君の死も分からず、
涙にくれている父帝を、
ふしぎそうに見守っていた。

帝は恋人の忘れがたみであるこの若宮を、
弘徽殿の女御に生まれた第一皇子より、
愛していられた。

帝のご本心は、
第一皇子を越えて、
この若宮を、
東宮(皇太子)にお立てになりたかったが、
しっかりした後見人もなく、
政治的な後楯もない上に、
世間が納得するはずがなかった。

若宮は母の実家で、
祖母に養育されたが、
六つの年にその祖母も亡くなった。

この時は物心ついていたので、
若宮はおばあちゃまを泣き慕った。

肉親に縁の薄い、
可憐な若宮を慈しまれた帝は、
御所に引き取られ、
お手元で育てられることになった。

学問にも芸術にも秀でて、
たぐいまれな美しい少年は、
宮中での人気者となった。

元服した若宮は、
源氏の姓を賜り、
今は「宮」ではなく、
ただびととなった。

冠をいただいた源氏は、
「光君」というあだ名の通り、
輝くばかり美しかった。

源氏には、
他の人間にない陰影があるのは、
その過去のせいである。

源氏は身をつつしみ、
まめやかに内輪にしていた。

源氏の本心は、
誰にもわからない。

源氏はしめやかに、
心の底に苦しい恋を秘しかくしている。

空蝉(うつせみ)という人妻と忍び会ったのも、
その風変わりな点を面白く思ったためであろう。

夏のころで、
夜は暑く、しのぎにくかった。

源氏は左大臣の邸へ出かけた。

ふだんはほとんど宮中に詰めているか、
私邸の二條邸にいる。

正妻・葵の上の左大臣家へ出かけるのは、
妻とすごすよりも、
義父の左大臣がよくしてくれる心遣いに、
こたえるためである。

御息所は先年、
みまかられた皇太子の妃で世が世なら、
皇后の宮に立たれるべき方だった。

皇太子亡きのち、
世をさけてひっそりと、
過ごしていられる高貴な女人と、
源氏はいつか人目をしのぶ仲になっている。

というのも、
源氏は世をおそれ、
人目をはばかる気むずかしい恋の方が、
気に入ってるせいなのだった。

源氏は妻の邸へ来て、
ひそかに高貴な女人とのひとときを、
思い返している。

年上の高雅で洗練された貴婦人と、
一夜を過ごすほうが、
いくらうれしいかしれない。

源氏は妻の葵の上が挨拶に出てきたきり、
引っ込んでしまったので所在なく、
若い女房たち相手に冗談などいって、
時間をつぶしている。

日が暮れてから、
今夜はこの邸の方角が悪いので、
方違(かたたが)えにいらっしゃらなければ、
と近臣たちや女房が騒ぎ立てる。

源氏は「面倒だな」としぶしぶ、
出かけた。

紀伊の守は恐縮し、
光栄にも思って大いに源氏を接待した。






          


(次回へ)

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