
・光源氏、光源氏と、
世上の人々はことごとしいあだ名をつけ、
浮ついた色ごのみの公達、
ともてはやすのを、
当の源氏自身はあじけないことに思っている。
彼は実は、
まめやかでまじめな心持の青年である。
帝の御子という身分柄や、
中将という官位、
それに左大臣家の思惑もあるし、
軽率な浮かれごとはつつしんでいた。
それなのに、
世間でいかにも風流男のようにいうのは、
特に女のあこがれや夢のせいである。
彼の美貌や、その誌的な生い立ち、
源氏は、
帝と亡き桐壺の更衣との悲恋によって生まれ、
物ごころつかぬまに、
母と死に分かれたという薄幸な運命が、
人々の心をそそるためらしかった。
帝にはあまたの女御やお妃がいられたが、
誰にもまして熱愛されたのは、
桐壺更衣であった。
他の後宮の女人たちの、
嫉妬やそねみはいうまでもない。
心やさしい桐壺更衣は、
帝のご愛情だけを頼りに生きていたが、
物おもいがこうじて病がちになり、
ついにはかなく、
みまかってしまった。
帝のお悲しみはいうまでもない。
更衣の遺した御子は三歳で、
光り輝くような美しさだった。
母君の死も分からず、
涙にくれている父帝を、
ふしぎそうに見守っていた。
帝は恋人の忘れがたみであるこの若宮を、
弘徽殿の女御に生まれた第一皇子より、
愛していられた。
帝のご本心は、
第一皇子を越えて、
この若宮を、
東宮(皇太子)にお立てになりたかったが、
しっかりした後見人もなく、
政治的な後楯もない上に、
世間が納得するはずがなかった。
若宮は母の実家で、
祖母に養育されたが、
六つの年にその祖母も亡くなった。
この時は物心ついていたので、
若宮はおばあちゃまを泣き慕った。
肉親に縁の薄い、
可憐な若宮を慈しまれた帝は、
御所に引き取られ、
お手元で育てられることになった。
学問にも芸術にも秀でて、
たぐいまれな美しい少年は、
宮中での人気者となった。
元服した若宮は、
源氏の姓を賜り、
今は「宮」ではなく、
ただびととなった。
冠をいただいた源氏は、
「光君」というあだ名の通り、
輝くばかり美しかった。
源氏には、
他の人間にない陰影があるのは、
その過去のせいである。
源氏は身をつつしみ、
まめやかに内輪にしていた。
源氏の本心は、
誰にもわからない。
源氏はしめやかに、
心の底に苦しい恋を秘しかくしている。
空蝉(うつせみ)という人妻と忍び会ったのも、
その風変わりな点を面白く思ったためであろう。
夏のころで、
夜は暑く、しのぎにくかった。
源氏は左大臣の邸へ出かけた。
ふだんはほとんど宮中に詰めているか、
私邸の二條邸にいる。
正妻・葵の上の左大臣家へ出かけるのは、
妻とすごすよりも、
義父の左大臣がよくしてくれる心遣いに、
こたえるためである。
御息所は先年、
みまかられた皇太子の妃で世が世なら、
皇后の宮に立たれるべき方だった。
皇太子亡きのち、
世をさけてひっそりと、
過ごしていられる高貴な女人と、
源氏はいつか人目をしのぶ仲になっている。
というのも、
源氏は世をおそれ、
人目をはばかる気むずかしい恋の方が、
気に入ってるせいなのだった。
源氏は妻の邸へ来て、
ひそかに高貴な女人とのひとときを、
思い返している。
年上の高雅で洗練された貴婦人と、
一夜を過ごすほうが、
いくらうれしいかしれない。
源氏は妻の葵の上が挨拶に出てきたきり、
引っ込んでしまったので所在なく、
若い女房たち相手に冗談などいって、
時間をつぶしている。
日が暮れてから、
今夜はこの邸の方角が悪いので、
方違(かたたが)えにいらっしゃらなければ、
と近臣たちや女房が騒ぎ立てる。
源氏は「面倒だな」としぶしぶ、
出かけた。
紀伊の守は恐縮し、
光栄にも思って大いに源氏を接待した。



(次回へ)