むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「残花亭日暦」  18

2021年12月19日 09時12分21秒 | 「残花亭日暦」田辺聖子作










2002年(平成14年)

・1月1日(火)

晴れたお正月。
お雑煮は私が作った。

ミドちゃんが来てくれて、母と三人で頂く。
私は大阪風の白味噌雑煮が好き。

子供のころから食べ慣れているので、
これでなければ、お正月、という気がしない。

もっとも、白味噌は最上級のもの、
そしてお餅は別なべにお湯を張って少し炊き、
とろりとやわらかくしておく。

それこそ、さまざまのお国ぶりがあるが、
結婚以来、私が作ったら、
子供たちも好んで三十何年、大阪風になった。

お雑煮をいただく席での話題ではないから私は黙っていたけど、
去年のお正月もその前も、彼の介護で悲惨だった。

人手のない時なので、すべて私の肩にかかってくる。
足が十分動かない彼は、ポータブルトイレがすぐそばにあるのだが、
間に合わず、結果的にベッドに敷いた大タオル、
身につけている衣類、ことごとく洗うことに。

去年の一月一日は、深夜に洗濯機を廻すこと二回、
明け方一回の仕儀となった。
(介護というのはこんなものだけど)

その前年の元日の夜は、
夜の十時半にミドちゃんを電話で呼ぶ始末。

ミドちゃんは快くかけつけてくれ、
漏れないパンツを彼にはかせ、パッドでぱんぱんにして、
「これで大丈夫ですわ」といって帰った。

しかし白内障の手術の直後ですら、
眼帯がわずらわしいと、むしり取ってしまう彼のこと、
たちまち、ミドちゃん苦心の装着も外してしまう。

二年続いての惨憺たる正月で、私はくたくたになり、
去年の一月一日の夜は「何が二十一世紀やねん!」
とぼやくより、ほかのことぞなきありさま。

それに去年は二日が雨だった。
洗濯物が多くて乾かしきれず、風呂場に吊ったり、
妹一家、弟一家が来、母は喜んでいたが、
一同帰ると私は疲労困憊してしまった。

わが家では毎年、一月四日が初出という慣例なので、
それまで私一人で、老母と彼をみなければいけない。

今年は彼がいないので、物忘れしたように静か。
彼は死病の床にある。

もはや、彼も解放され、私も解放されたい、と思うに至った。
ただ、彼の好んだお雑煮をもう一度食べさせてやりたかった。

病院は休日で閑散としていた。
今の彼は周りに顧慮する気はすりきれてしまったように、
傲然と寝ている。


・1月3日(木)

彼は今日もうつらうつらと眠るのみ。
今日はU夫人に暖かいごはんや焼きたてのお魚を持って行った。

私は風邪気味。
手をにぎってやるぐらいしか出来ない。


・1月6日(日)

私の風邪がひどくなって、二日間、病院へ行けず。
今日、やっと行ってみると、彼はびっくりするくらい憔悴していた。

なまじ、少しばかりの体力があるため、苦しいらしく、
ハアハアと息を吐く。

目はつむられる。
左の目に涙がたまり(生理現象)右目は閉じたまま。

体内で壮絶な死闘がくり返されているらしい。
かわいそうだが、どうしてやりようもなく、
誰かれを代わりばんこに食事に行かせたが、
私は食べる気もおこらなかった。

ミドちゃんもベッドの反対側にいてくれる。
弟たちが、「これからが大変、食べといた方がいいから」
と呼びに来る。

行きつけの寿司屋さんに、母と妹一家がいる、というので、
ミドちゃんと行く。

いつも心おどる寿司屋さんの店だけれど、
さすがに何を口にしても上の空。
「あたしって、こんなしおらしい女だったのか」と思ってしまう。

灯の明るい店内、ガラス戸棚の中の美しいネタをみて、
あれこれ注文したり、このお店は大好きなのだけれど、
さすがに今夜はしょげてる、と自覚した。

<死にかけの男持つ身は しおらしや>

香ばしいお酢の匂いの中、そんなコトバが心に浮遊する。


・1月7日(月)

大急ぎで仕事。
少年少女向きの「百人一首」

この仕事を頼まれたとき、
少年少女に「百人一首」を覚えてほしいと思っているので、
即座に引き受けた。

刊行の時期の関係上、執筆を急かされていたが、
彼の入院騒ぎで遅れに遅れている。

病院へ行くと、U夫人と看護士さんたちがただならぬさまで、
U夫人は彼の背を叩いたり、胸をさすったりしていた。

無呼吸状態になったという。

私の父は四十四才の若さで死んで、
それはもう五十年前になるが、
父の死に際の時と同じだ、と思った。

父の死期のありさまも苦しそうで、彼も全く同じ。
手を上下し、私の首へ、肩へかけ、
ベッドの柵や手すりをつかもうとする。

「しんどいねえ、しんどいねえ・・・」私は彼に言う。

その言葉も、母が父に言っていた言葉と一緒だと発見する。

医師(せんせい)に呼ばれて階下の医局へ行く。
レントゲン写真がある。左頬に出来た腫瘍が転移して・・・

私は聞こえなかった気がするので、

「三月ごろでしょうか?」とつぶやいた。

「とてもとても三月まで保ちません」

先生のお言葉は明快だった。

「今月のうち・・・か。と思われます」

「わかりました」これは私ではなく、ミドちゃんが言った。

一度家へ帰り、電話をあちこちへかけ、九時に病室に戻る。
長女一家、長男一家がかけつける。

危篤状態。

みんなが私をかばって、少し家で寝て来たら・・・と言う。
長女のユウコと長男のコウイチに任せ、十二時、私は家へ戻った。

緊迫した病室から帰ってみると、平安で静穏で、
何一つ変ったことのないわが家ののどけさが別世界のようだった。

「パパが死んじゃう」と思ったとき、
私は「平家物語」の木曽義仲と少年の時からの盟友、
今井四郎の話を思い浮かべた。

主君にして親友の義仲のため、奮迅の働きをする四郎。
義仲もついに討たれる。

「今は誰をか、かばはむとてか、いくさをもすべき」

そして壮絶な自害をとげる。

夫婦二人で生きるということは、
背中合わせになって、乱戦の中を戦い抜くことだ。

その片方が死んだとき、「今は・・・」と言って、
自害出来るのは、男同士だからだろう。

かばう相手が死んでも、女は生きなければならない。
女は今井四郎になれないように出来ているのだ。






          


(次回へ)

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