2002年(平成14年)
・1月1日(火)
晴れたお正月。
お雑煮は私が作った。
ミドちゃんが来てくれて、母と三人で頂く。
私は大阪風の白味噌雑煮が好き。
子供のころから食べ慣れているので、
これでなければ、お正月、という気がしない。
もっとも、白味噌は最上級のもの、
そしてお餅は別なべにお湯を張って少し炊き、
とろりとやわらかくしておく。
それこそ、さまざまのお国ぶりがあるが、
結婚以来、私が作ったら、
子供たちも好んで三十何年、大阪風になった。
お雑煮をいただく席での話題ではないから私は黙っていたけど、
去年のお正月もその前も、彼の介護で悲惨だった。
人手のない時なので、すべて私の肩にかかってくる。
足が十分動かない彼は、ポータブルトイレがすぐそばにあるのだが、
間に合わず、結果的にベッドに敷いた大タオル、
身につけている衣類、ことごとく洗うことに。
去年の一月一日は、深夜に洗濯機を廻すこと二回、
明け方一回の仕儀となった。
(介護というのはこんなものだけど)
その前年の元日の夜は、
夜の十時半にミドちゃんを電話で呼ぶ始末。
ミドちゃんは快くかけつけてくれ、
漏れないパンツを彼にはかせ、パッドでぱんぱんにして、
「これで大丈夫ですわ」といって帰った。
しかし白内障の手術の直後ですら、
眼帯がわずらわしいと、むしり取ってしまう彼のこと、
たちまち、ミドちゃん苦心の装着も外してしまう。
二年続いての惨憺たる正月で、私はくたくたになり、
去年の一月一日の夜は「何が二十一世紀やねん!」
とぼやくより、ほかのことぞなきありさま。
それに去年は二日が雨だった。
洗濯物が多くて乾かしきれず、風呂場に吊ったり、
妹一家、弟一家が来、母は喜んでいたが、
一同帰ると私は疲労困憊してしまった。
わが家では毎年、一月四日が初出という慣例なので、
それまで私一人で、老母と彼をみなければいけない。
今年は彼がいないので、物忘れしたように静か。
彼は死病の床にある。
もはや、彼も解放され、私も解放されたい、と思うに至った。
ただ、彼の好んだお雑煮をもう一度食べさせてやりたかった。
病院は休日で閑散としていた。
今の彼は周りに顧慮する気はすりきれてしまったように、
傲然と寝ている。
・1月3日(木)
彼は今日もうつらうつらと眠るのみ。
今日はU夫人に暖かいごはんや焼きたてのお魚を持って行った。
私は風邪気味。
手をにぎってやるぐらいしか出来ない。
・1月6日(日)
私の風邪がひどくなって、二日間、病院へ行けず。
今日、やっと行ってみると、彼はびっくりするくらい憔悴していた。
なまじ、少しばかりの体力があるため、苦しいらしく、
ハアハアと息を吐く。
目はつむられる。
左の目に涙がたまり(生理現象)右目は閉じたまま。
体内で壮絶な死闘がくり返されているらしい。
かわいそうだが、どうしてやりようもなく、
誰かれを代わりばんこに食事に行かせたが、
私は食べる気もおこらなかった。
ミドちゃんもベッドの反対側にいてくれる。
弟たちが、「これからが大変、食べといた方がいいから」
と呼びに来る。
行きつけの寿司屋さんに、母と妹一家がいる、というので、
ミドちゃんと行く。
いつも心おどる寿司屋さんの店だけれど、
さすがに何を口にしても上の空。
「あたしって、こんなしおらしい女だったのか」と思ってしまう。
灯の明るい店内、ガラス戸棚の中の美しいネタをみて、
あれこれ注文したり、このお店は大好きなのだけれど、
さすがに今夜はしょげてる、と自覚した。
<死にかけの男持つ身は しおらしや>
香ばしいお酢の匂いの中、そんなコトバが心に浮遊する。
・1月7日(月)
大急ぎで仕事。
少年少女向きの「百人一首」
この仕事を頼まれたとき、
少年少女に「百人一首」を覚えてほしいと思っているので、
即座に引き受けた。
刊行の時期の関係上、執筆を急かされていたが、
彼の入院騒ぎで遅れに遅れている。
病院へ行くと、U夫人と看護士さんたちがただならぬさまで、
U夫人は彼の背を叩いたり、胸をさすったりしていた。
無呼吸状態になったという。
私の父は四十四才の若さで死んで、
それはもう五十年前になるが、
父の死に際の時と同じだ、と思った。
父の死期のありさまも苦しそうで、彼も全く同じ。
手を上下し、私の首へ、肩へかけ、
ベッドの柵や手すりをつかもうとする。
「しんどいねえ、しんどいねえ・・・」私は彼に言う。
その言葉も、母が父に言っていた言葉と一緒だと発見する。
医師(せんせい)に呼ばれて階下の医局へ行く。
レントゲン写真がある。左頬に出来た腫瘍が転移して・・・
私は聞こえなかった気がするので、
「三月ごろでしょうか?」とつぶやいた。
「とてもとても三月まで保ちません」
先生のお言葉は明快だった。
「今月のうち・・・か。と思われます」
「わかりました」これは私ではなく、ミドちゃんが言った。
一度家へ帰り、電話をあちこちへかけ、九時に病室に戻る。
長女一家、長男一家がかけつける。
危篤状態。
みんなが私をかばって、少し家で寝て来たら・・・と言う。
長女のユウコと長男のコウイチに任せ、十二時、私は家へ戻った。
緊迫した病室から帰ってみると、平安で静穏で、
何一つ変ったことのないわが家ののどけさが別世界のようだった。
「パパが死んじゃう」と思ったとき、
私は「平家物語」の木曽義仲と少年の時からの盟友、
今井四郎の話を思い浮かべた。
主君にして親友の義仲のため、奮迅の働きをする四郎。
義仲もついに討たれる。
「今は誰をか、かばはむとてか、いくさをもすべき」
そして壮絶な自害をとげる。
夫婦二人で生きるということは、
背中合わせになって、乱戦の中を戦い抜くことだ。
その片方が死んだとき、「今は・・・」と言って、
自害出来るのは、男同士だからだろう。
かばう相手が死んでも、女は生きなければならない。
女は今井四郎になれないように出来ているのだ。
(次回へ)