むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

4、末摘花 ①

2023年08月03日 08時33分43秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳









・源氏は夕顔を失った悲しみを、
年月を経ても忘れることは出来なかった。

葵の上(正妻)といい、
六条御息所といい、
気位高く身構えているような女人ばかりで、
源氏は心が休まらぬのであった。

あの夕顔の、
人なつこく、率直で親しみ深かった、
人がらが恋しくてならなかった。

そして源氏は空蝉を思いださずにはいられない。
あの女は心にくい女だった。

それと共に、
空蝉の継娘・軒端萩のことも、
忘れ去ってしまえない性質であった。

左衛門の乳母といって、
源氏が親しみなついた乳母がいたが、
その人の娘で大輔(たゆう)の命婦という、
宮中に仕えている女房がいる。

源氏も宮中で召し使って、
心やすい仲である。

彼女が耳よりな話をもたらした。

もう亡くなられた常陸の宮に、
忘れ形見の姫がいらして、
今は一人で心細くお住まいだという。

命婦は父の縁で折々、
この邸に伺うそうであった。

「姫君のお気だてやご器量は存じません。
ただもう、ひっそりと、
人づきあいもなさらず、
琴だけをお友達としていらっしゃいます」

源氏は好奇心を持った。

「この頃はおぼろ月夜だから、
ちょうどいい。
琴の音を聞かせてくれないか」

命婦は面倒な、
と思ったが、
宮中を下って姫君の邸に伺っていると、
源氏は約束どおり、
十六夜の月の美しい夜、
やってきた。

姫君は庭を眺めていた。
命婦はいい折だと思って、

「こんな宵は、
お琴の音もきっと冴えると存じます。
いつもあわただしく出入りしておりますので、
ゆっくりうかがえませんのが残念で」

とすすめると、
姫君は素直にうなずいて、
琴を弾き出した。

姫君のほのかにかき鳴らす琴の音を、
源氏は遠くで聞いていて、
面白く思った。

達者というのではないが、
荒れ果てた淋しい邸に、
一人物思いに沈みつつ、
住む姫君の琴の音と思えば、
あわれに見捨てがたかった。

源氏が破れた透垣のところまで来ると、
ついと男がそばへ寄ってきた。

「一緒に御所を退出したのに、
私をおまきになったから、
不審でお跡を慕って参りました」

というのは、
頭の中将(正妻・葵の上の兄君)だった。

中将は源氏の秘密を握ったと思い、
得意そうにしている。

何かにつけて張り合うこの親友同士は、
恋の冒険でも抜いたり抜かれたりして、
競い合っていた。

しかし源氏は、
かの頭の中将の思い者だった、
夕顔を密かに盗んだことを、
中将に対して得点をあげたように、
心中思っていた。

それぞれゆくべき所はあったが、
親友同士、離れがたくなって、
一つ車に同乗にて、
左大臣邸へ着いた。

月が美しいので、
管弦の遊びに夜がふけた。

「あちらから、
お返事はありましたか・・・」

とある日、
頭の中将がさぐりを入れた。

常陸の宮邸へ源氏は度々文をやっていたが、
どうやら中将もそうらしい。

「さあ、どうだったかなあ」

と源氏はとぼけたが、
実をいうと源氏の方へもなしのつぶてで、
何だか妙な感じであった。

源氏は変な人柄だなあ、
と思ったが、
しかし頭の中将もなかなか色ごと師なので、
もしや中将の方が口説き落としてしまったら、
残念だ、という気がしていた。

最初に言い寄った源氏の方が、
捨てられた形になってしまうのが、
いまいましいのである。

中将より先に、
常陸の宮の姫君と、
特別な関係になりたかった。

しかし源氏がそのあと、
病気にかかったりしている間に、
春は終り、夏の間は藤壺の宮(継母)への、
物思いに過ぎ、
むなしく日はたってしまった。

秋がめぐってきても、
常陸の宮の姫君への好奇心とあこがれは、
やはりおさえ難かった。

度々手紙を出すが、
依然として返事は来ない。






          


(次回へ)

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