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(霧の朝の公園)
・泊ると決めた夕霧は、
何かと宮に話しかけつつ、
お取り次ぎの女房が、
宮のそばへ参った、
その後ろについて、
御簾の中へ入ってしまった。
まだ夕暮れだが、
霧が立ち込めて室内は暗い。
宮の方は動転なさって、
北の障子の外へいざり出よう、
となさるのを夕霧は手探りし、
宮をお引き止めした。
宮のお体は、
障子の向こうに入られたが、
お衣装の裾はこちらに残って、
夕霧に抑えられている。
障子は向こうから掛金を、
さすことは出来ない。
宮は震えおののいて、
汗をしとどに流していられる。
女房たちも動転して、
どうしていいかわからない。
「そんなお心とは、
夢にも思いませぬものを」
宮は泣かぬばかりに、
訴える。
「ただこうして、
お側にいるだけです。
私の思いは長年のあいだに、
感じ取って頂けたと思うのです」
夕霧は落ち着いていう。
宮はただ、
夕霧の所業を悔しく思っていられ、
お返事などあるべきもなかった。
「お年にしては、
お聞き分けのない、
稚いご態度です。
思いきわまって、
失礼なことをいたしましたが、
これ以上のことは、
お許しがない限り、
決していたしません。
このまま朽ち果てるものか、
ぜひこの切ない思いを、
聞いて頂きたい・・・
そう思っただけです。
それなのになんとつれない、
冷たいおあしらい。
宮さまのご身分に対しても、
これ以上畏れ多いことは、
いたしません」
夕霧は自分の心を抑え、
きっぱりという。
宮は鍵もかからない障子を、
押さえておいでになる。
夕霧はあえて開けようとしない。
「大丈夫です。
私は開けません」
宮のご様子はお美しかった。
柏木は、
あまり愛せなかったようだが、
宮はやさしく上品な佳人である。
長い物思いに痩せられて、
はかなく、かぼそく、
弱々し気でいられる。
風は心細く吹き、
夜は更けていく。
鹿の鳴き声、
滝の音、
格子を上げたままなので、
入り方の月が山の端にかかる。
「まだ私の心を、
お分かり頂けませんとは、
かえって宮さまのお心が、
浅く思われます。
それなのに、
あまりにも私を、
お蔑みになるのでしたら、
私は自分を抑えきれなく、
なります。
宮さまも一度は結婚を、
経験された御身、
男女の仲をご存じないわけでも、
ありますまい」
夕霧は責める。
宮は、
(わたくしが結婚した身、
だからといって、
言い寄っても許されるような、
心安い言い方をされる)
と悔しく思われた。
なぜこんな不運な目にばかり、
あうのかしらと考えられると、
悲しくて死んでしまいたいような、
お気持ちになる。
「結婚したのが、
わたくしの過ちだとしましても、
どうしてわたくしは、
見下げられなければ、
ならないのでしょう。
わたくしが何か悪いことを、
いたしまして?」
泣きながら宮は、
お話になる。
「これは、
失礼を申し上げました。
しかし一度ご降嫁なさった御身、
再婚なさっても、
なさらなくても、
世間の見る目は同じです。
どうかお心を決めてください」
夕霧は、
宮のおからだへ手をのばし、
月の明るいところへ、
引き寄せようとする。
月はくまなく澄み渡り、
あまりに月光が明るいので、
宮は恥ずかしそうに面を、
そむけていられる。
「どうか夜の明けぬうちに、
お帰り下さい・・・」
宮は追い払うことばかり、
考えていらっしゃる。
夕霧はこのまま、
何もせず帰るのは、
どうも気がかりであるが、
しかし彼は、
出来心で、
女性に手を出すことは、
出来ないたちであった。
宮を心から愛しているので、
宮を強いるのは可哀そうであり、
宮が自分を、
軽蔑されるかもしれないと、
自制した。
「私は露にぬれて帰ります。
あなたと私の名も、
ぬれるでしょう。
それもこれも、
宮さまのつれないお心からです」
宮は、
人に弁解しても、
信じてもらえないような、
この一夜を辛く思われたが、
自分では、
やましいところはない、
と思っていられるので、
凛としたご様子で答えられた。
「露にぬれるのは、
そちらでしょう。
わたくしにまで濡れ衣を、
きせようとなさいますの」
夕霧は恥ずかしくなる。
自分のしたことを反省しつつ、
しかもこうも宮の言われる通り、
実直に従っていても、
あとでどうなるかなど、
さまざま思い乱れて帰った。
夕霧は草一面の露で、
しとどにぬれた。
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(次回へ)