むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

100番、順徳院

2023年07月10日 08時58分20秒 | 「百人一首」田辺聖子訳










<ももしきや 古き軒端の しのぶにも
なほあまりある 昔なりけり>


(宮居の古い軒端に
しのぶ草は 生い茂る
私がしのぶのはそのかみのこと
しのびても あまりある
思い出は尽きせぬ
なつかしや かの栄華
荒れはてた宮居の
昔の思い出)






・いよいよ、
百人一首の掉尾を飾る順徳院のお歌となった。

「ももしき」は宮中をさす。

「しのぶ」は忍草と思い出をしのぶにかけている。

順徳院は後鳥羽院の第三皇子、
建久八年(1197)のお生まれ、
修明門院重子がおん母。

その異母弟の皇子は兄君より、
才気があって活発明朗でいられた。

和漢の学に長じ、
父院に似て歌才に恵まれ、
歌学者でもあられた。

父君の後鳥羽院としては、
おとなしいばかりの兄皇子より、
自分似で文武に秀でた弟皇子のほうが、
お可愛かったのであろう。

ついに土御門帝を譲位させ、
弟皇子を即位させられて、
これが順徳帝。

土御門帝は十六歳で退位させられた。

その昔の、鳥羽・崇徳の頃の、
争いを見るようであったが、
土御門院は温厚なおかただけに、
内心は面白くないと思われただろうが、
色にもお出しにならなかった。

ただ若くして退位させられた我が子の悲運を、
おん母の承明門院は悲しまれたにちがいない。

さて、
父君の後鳥羽院が討幕の志を持たれたとき、
その最大の協力者は、
順徳帝であった。

お二人は味方の公家や武士を語らい、
着々と謀をすすめられる。

しかし承久の乱は、
後鳥羽院らのあっけない敗退によって、
新しい時代を迎えることになった。

幕府の力が天皇より強くなったことを、
天下に知らせたのだ。

幕府の戦後処理は果断で容赦なかった。

後鳥羽院は隠岐へ、
順徳院は佐渡へ流された。

順徳院はこのときまだ二十五歳、
おん母の承明門院は悲しみのあまり、
尼となられる。

土御門院はこの乱に無関係で、
幕府の咎めもなかったが、
父君と弟君が流されたのに、
われ一人都で安閑と暮らすわけにいかないと、
みずから志して土佐へ、
やがて阿波へ移られた。

小さい若宮を都に残されて。

やがて幕府は傍流の皇族から、
後堀河天皇を立てた。

順徳院は佐渡で、
二十年の間、悶々と暮らされた。

幕府は後鳥羽院同様、
最後まで順徳院のご帰京を許さなかった。

この歌は、
さながら佐渡での幽閉中のお作のようであるが、
もっと早く健保四年(1216)、
院が二十歳のときのお作。

『続後撰集』雑に「題知らず」として見える。

父院と心合わせ、
討幕の謀に若き血を燃やしていられたころの、
感懐であろう。

佐渡ではあけくれ、
仏道のご修行に専念なさっていたが、
まさかこのまま、ということはあるまいと、
一縷の希望にすがっていられた。

隠岐の父院ともまれまれに、
かすかなお便りを交わし合っていられた。

十年後、まず土御門院が、
十八年後、後鳥羽院が、
それぞれの遷幸先で崩じられた。

順徳院の崩御は仁治三年(1242)、
四十六歳であった。

都では、順徳院、土御門院、
それぞれの母君がこの知らせに、
どれほど悲嘆されたかわからない。

どちらもお手元に、
孫宮を育てていられたが、
折も折、後堀河帝の皇統が途絶えた。

次の天皇は幕府の指示を待たねばならぬ。

修明門院(順徳母)承明門院(土御門母)、
二人の祖母君は、
それぞれもしやわが孫が、
と心ときめきしていられた。

やがて東国の使者が京へ駆け入り、
声高く呼ばわった。

「承明門院のおわします御所はどこだ!」

かくて、
土御門院の忘れ形見の皇子が皇位につかれ、
長く皇統を伝えられることになる。

幕府としては、
討幕の中心だった順徳院の皇子を、
皇位に据える気にはなれなかったろう。

定家は、
百人一首の冒頭に、天智・持統と、
御父子のお歌を置き、
末に、後鳥羽・順徳と再び御父子のお作を据えて、
百人一首を締めくくった。

しかも後鳥羽・順徳両院には、
ほかに優艶な、あるいは典雅なお作も多いのに、
両者とも、やるかたない憂憤をうちに秘めた、
悶々たる述懐のお歌である。

定家は敢えてそのお作を採ることによって、
志成らず孤島で余生を送られることになった、
お二方の悲運を痛哭し、
恭順のまことをあらわしたかったのでは、
なかろうか。

華麗に、
のびやかにくりひろげられた百人一首は、
やがてしめやかな悲愁のうちに、
静かに閉じられる・・・






          


(最終回)

今日で「百人一首」読み終えました。
おつきあい下さったみな様、
ありがとうございました。

明日からはまた、
別の田辺聖子さんの作品を、
読んでいきたいと思っております。

よろしくお願いいたします。

梅雨末期の集中豪雨のニュースが、
連日、報じられて、心が痛みます。

どうぞ被害がこれ以上出ないようにと、
願うばかりです。




          


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