むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

8、もっと広い世の中 ①

2022年07月14日 07時49分49秒 | 田辺聖子・エッセー集










・昭和十二年の夏にやっと終わった、
日本軍の中国大陸侵略は、あれはたんに、
「進出」というものであろうか?

八年もの長い間、
ヨソの国へ兵器を携えてのりこみ、
何十万何百万の人間や動物を殺傷し、
財産を焼き払い、
その土地の人々のプライドをふみにじり、
それに代わる何ものも与えなかった、
その行為が「進出」というあいまいな、
どうともとれるまぎらわしい言葉で、
表現されるものであろうか?

文部省、
いや、日本政府と自民党は、
どう考えて教科書を書き換えさせたり、
削除したりしたのか、
その大もとの考え方、
意図するところはどこにあるのか、
私たちは危俱と不安を持たずにいられない。

日本政府と与党が、
教科書の大幅な改訂にのり出し、
日本軍の戦時中の行為について、
「侵略」という表現を「進出」に書き換えたことは、
中国や韓国との外交問題にまで発展した。

進出という言葉には、
かつての日本軍の立場を正当化し、
軍国主義・帝国主義を擁護する口吻があるとして、
中国・韓国側の態度の硬化をひきおこした。

また、日本がかつて韓国に対して行った、
差別や圧政、朝鮮語が禁止されたり、
神社参拝を強制されたりした。

その事実が、
文部省によって書き換えさせられ、
これまたあいまいにぼやかされてしまった。

そのことが韓国民衆の憤激を買っているというニュースも、
私には考えさせられるところが多かった。

政府と与党は、
若者にかつての日本のやり方を、
正当だったと教えたいのであろうか?

自分の国のやってきたことは、
何一つあやまりがなかった、
日本は栄光と優越にのみ恵まれて、
汚辱を知らない国であると、
若者たちに教えようとするのだろうか。

私はそういう教育が、
若者たちのゆく道を少しずつ、
ずれさせていきはせぬかと、
心配である。

将来、ますます国際社会の輪は広がり、
日本の若者はこともなく世界に散ってゆくようになる、
そのとき、客観的な目、
世界史のなかの日本の正しい現在位置、
広い視野を持たないではやっていけない。

政府の押し付ける、
偏向した歪曲教育や糊塗教育で、
若者をあやまらせることの、
怖さを思わないではいられない。

それというのも、
私たちが受けた教育のあやまりを、
同じようにいまの若者の上に見たくないからである。

「前車の覆るは後車のいましめ」、
日本の無謬性、優越性ばかり教え込まれた、
日本の若者はどうなるか、
そういうのは、たいへん暗示にかかりやすい、
大人が出来上がるのである。

思想統制は安易になされる。

何しろ「日本は間違いをおこすはずはない」
と思い込んでいる人間の集団なのだ。

正しい現在位置が計測できるはずはなく、
コンパスも磁石も狂っていることすら弁別できない。

誰のコンパスも狂っているとすれば、
人は容易にそれを正しいものと思い込んでしまうだろう。

人々は同じ歌を、
声をそろえて合唱することになる。

そういう人間が政府・与党、
そしてその時代の権力者の顔色をすばやく見、
その意のあるところをキャッチして、
頼まれもせぬのに、いち早く旗を振る、
かくて大衆はその旗についていくうち、
ますます自己陶酔におちいり、
集団催眠術にかかってしまって、
やがて権力者のいいなりになるという、
そういう時代になりはせぬか、
と私は心もとないのだ。

若者はよく大人に対していう。

「戦争をどうして阻止できなかったんですか?
なぜみんなの力を結集できなかったんですか?」

のちの時代になって、
戦争をふり返ってそう言うことはやさしい。

しかし集団催眠などは、
一挙にかけられるものではなく、
ながいこと、ながいことかかって、
その下地を作るのである。

そうしてあるとき、
「ハッ」とばかりにかけられる。

大衆はそのショックで、
いっぺんに深い眠りにおちいる。

目はあいていても何も見えず、
耳は音を捉えていても何も聞かない。

わずかばかりの抵抗はなぎ倒される。
その勢いのものすごさといったら!

だからそこへなだれ落ちてしまうまでに、
その土壌を作らないように留意すべきなのだ。






          


(次回へ)

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