・昭和十二年の夏にやっと終わった、
日本軍の中国大陸侵略は、あれはたんに、
「進出」というものであろうか?
八年もの長い間、
ヨソの国へ兵器を携えてのりこみ、
何十万何百万の人間や動物を殺傷し、
財産を焼き払い、
その土地の人々のプライドをふみにじり、
それに代わる何ものも与えなかった、
その行為が「進出」というあいまいな、
どうともとれるまぎらわしい言葉で、
表現されるものであろうか?
文部省、
いや、日本政府と自民党は、
どう考えて教科書を書き換えさせたり、
削除したりしたのか、
その大もとの考え方、
意図するところはどこにあるのか、
私たちは危俱と不安を持たずにいられない。
日本政府と与党が、
教科書の大幅な改訂にのり出し、
日本軍の戦時中の行為について、
「侵略」という表現を「進出」に書き換えたことは、
中国や韓国との外交問題にまで発展した。
進出という言葉には、
かつての日本軍の立場を正当化し、
軍国主義・帝国主義を擁護する口吻があるとして、
中国・韓国側の態度の硬化をひきおこした。
また、日本がかつて韓国に対して行った、
差別や圧政、朝鮮語が禁止されたり、
神社参拝を強制されたりした。
その事実が、
文部省によって書き換えさせられ、
これまたあいまいにぼやかされてしまった。
そのことが韓国民衆の憤激を買っているというニュースも、
私には考えさせられるところが多かった。
政府と与党は、
若者にかつての日本のやり方を、
正当だったと教えたいのであろうか?
自分の国のやってきたことは、
何一つあやまりがなかった、
日本は栄光と優越にのみ恵まれて、
汚辱を知らない国であると、
若者たちに教えようとするのだろうか。
私はそういう教育が、
若者たちのゆく道を少しずつ、
ずれさせていきはせぬかと、
心配である。
将来、ますます国際社会の輪は広がり、
日本の若者はこともなく世界に散ってゆくようになる、
そのとき、客観的な目、
世界史のなかの日本の正しい現在位置、
広い視野を持たないではやっていけない。
政府の押し付ける、
偏向した歪曲教育や糊塗教育で、
若者をあやまらせることの、
怖さを思わないではいられない。
それというのも、
私たちが受けた教育のあやまりを、
同じようにいまの若者の上に見たくないからである。
「前車の覆るは後車のいましめ」、
日本の無謬性、優越性ばかり教え込まれた、
日本の若者はどうなるか、
そういうのは、たいへん暗示にかかりやすい、
大人が出来上がるのである。
思想統制は安易になされる。
何しろ「日本は間違いをおこすはずはない」
と思い込んでいる人間の集団なのだ。
正しい現在位置が計測できるはずはなく、
コンパスも磁石も狂っていることすら弁別できない。
誰のコンパスも狂っているとすれば、
人は容易にそれを正しいものと思い込んでしまうだろう。
人々は同じ歌を、
声をそろえて合唱することになる。
そういう人間が政府・与党、
そしてその時代の権力者の顔色をすばやく見、
その意のあるところをキャッチして、
頼まれもせぬのに、いち早く旗を振る、
かくて大衆はその旗についていくうち、
ますます自己陶酔におちいり、
集団催眠術にかかってしまって、
やがて権力者のいいなりになるという、
そういう時代になりはせぬか、
と私は心もとないのだ。
若者はよく大人に対していう。
「戦争をどうして阻止できなかったんですか?
なぜみんなの力を結集できなかったんですか?」
のちの時代になって、
戦争をふり返ってそう言うことはやさしい。
しかし集団催眠などは、
一挙にかけられるものではなく、
ながいこと、ながいことかかって、
その下地を作るのである。
そうしてあるとき、
「ハッ」とばかりにかけられる。
大衆はそのショックで、
いっぺんに深い眠りにおちいる。
目はあいていても何も見えず、
耳は音を捉えていても何も聞かない。
わずかばかりの抵抗はなぎ倒される。
その勢いのものすごさといったら!
だからそこへなだれ落ちてしまうまでに、
その土壌を作らないように留意すべきなのだ。
(次回へ)