むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

28、姥あらくれ  ④

2021年11月27日 08時26分20秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・「お爺ちゃんの生きてはるうちに交渉しとかんと、
息子の代になったら、知らぬ存ぜぬ、でつっぱねまっしゃろ」

長男は欲に目がくらみ、あたまに血がのぼったごとくである。
しばらくして次男から電話。

「何やてな、えらい金目のもん、
伏見町に取り込まれてしもたんやてな、絶対取り返さなあかん。
あそこはベンツ乗っとんねんデ。
ごついマンション建てて、取り戻さな承知せえへんど~!」

ことに次男は金銭に関して神経鋭敏な男である。

「大体やな、大体オカーチャンがいかんねん!
ちゃんとケジメつけんよって、あいつらにつけ入られるねん。
早いこと伏見町へ行って、取り返してこんかいや!
ウチの財産くすねくさって!」

この次男の口の悪さも直らぬ。
伏見町はいつの間にか盗っ人にされてしまう。

「ようし、絶対取り返したるからなっ!」

なんでそう、あんたら、欲ぼけやねん、なさけない、
大の男が掛け軸ぐらいに・・・

よほど掛け軸の絵に惚れ込んでいるというのなら、別。
金目のもの、というだけで狂奔するとは、なんとあさましい。

私ゃそんな欲ぼけに育てたつもりはないが、
現代社会に住んでいると、感覚も歪んでくるのであろうか。

金目のものには敏感だが、
いちばん大切な身近にいる妻の心、というものは、
見えて来ぬようになっているのではないか。
長男、次男も脇田氏や脇田ジュニアとちっとも変わらぬ。

そこへ電話。三男の嫁である。
欲にかまけた三兄弟、なぜか横の連絡は密である。

「お姑さん、何だか、いいものをくれるんですってね」

「・・・」

腹を立てて電話を切ったとたん、また電話。


~~~


・「先生・・・『ふたり酒』が・・・『ふたり酒』が・・・」

泣き声で話すのは長谷川夫人。

「歌えなくなってしまったんですよう、あたし。
あんなに楽しみにしてましたのに・・・」

「あら、どうして。
一週間先でしょ、カラオケ大会は」

「主人が『出るな!』と言うんですわ。
『病人大事にせい、そばに居れ~っ』なんて」

夫人はすすり泣いていた。

「舞台衣装のドレスを見つけたからでございますわ。
・・・病人ほっといて歌、うたいに行くなんて、と怒って、
ドレスをハサミでずたずたに・・・」

「まあ・・・」

「先生、何やもうなさけ無うて・・・
たった一つの楽しみまで・・・」

「長谷川さん、出場なさいよ、家政婦さん頼んで。
私たち応援しますよ。当日はいつものドレスで」

「えっ?」

「ご主人が文句を言われたら、ね、こらしめてやりなさい」

「は?」

「どうせ、ご主人は動かれへんのでしょ?」

「あ、はい」

「何も怖がることはありません。
あなたが昔からどれだけ苦労してきたか、説き聞かせなさい」

「・・・ふ、ふふふ。そうですわね。
どうせ一人で動かれへん人ですものね」

長谷川さんはいつもの晴れやかな声になり、

「やっぱり『ふたり酒』歌いましょうか、先生」

「そうよ、
歌の文句はありもせぬ、まぼろしのやさしい男の歌やけど」

二人で小さく笑い返す。






          


(了)

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