「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

35、夕霧 ①

2024年03月20日 08時30分32秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・堅物で評判の夕霧であるが、
亡き友・柏木の未亡人、
一條の宮(女三の宮の異腹の姉君)への、
思慕は増さるばかりであった。

世間の手前、
亡き友との友情のため、
とみせかけつつ、
熱心にお見舞いに行く。

宮の母君・御息所も、
たいそうお喜びになって、
淋しい日々の慰めに、
していられるが、
ほんとは夕霧の恋のためである。

夕霧は何かにつけて、
宮のご様子を探ろうとするが、
宮はご自身で応対なさることは、
全くなかった。

何とか自分の気持ちを、
お話し宮のお気持ちを、
知る折が来ぬものか、
と夕霧が思っているうち、
御息所が病気になられ、
小野(比叡山の麓)の山荘へ、
お移りになることになった。

かねてより、
祈祷の師として出入りしていた、
律師が比叡山で修行している。

山ごもりの間は、
里へ下りないと誓を立てているが、
麓近くであるからと頼んで、
下りてもらうためであった。

小野まで、
お車も供人も、
夕霧が用立てしてさしあげた。

柏木の縁戚の人々も、
今はそれぞれの生活の忙しさに、
まぎれ、
宮のお世話まで手が届かない。

柏木の弟の一人は、
宮に少し思いをかけていたが、
「とんでもないこと」
という宮の反応で、
それからはお見舞いにも、
来なくなった。

夕霧は、
夢にもそんな気はない風に、
みせて親身に世話をし、
御息所と宮のご信用を得た。

修法などさせられると聞いて、
夕霧は僧への布施なども、
気配りする。

御息所はお具合が悪く、
お返事もお書きになれないので、
お付きの女房は、
女房の代筆では、
夕霧の身分柄失礼であろうと、
宮にお書かせ申し上げた。

(おお、これが宮のお手蹟)

夕霧はたった一行のお文に、
心ときめかせた。

おっとりしたご筆跡、
言葉にもやさしいお気持ちが、
匂わせてあって、
いよいよ夕霧は心ひかれる。

どうしてもわがものにしたい、
という気持ちがこうじて、
しげしげと手紙をさしあげる。

雲井雁は夫の異変に気づき、
このごろは疑いの目を、
向けるようになっていた。

夕霧はそれが煩わしく、
小野の山荘へお見舞いに行きたい、
と思いながら自由に出られない。

八月二十日ごろ、
小野の山荘はどんなであろう、
と思われて、

「なにがしの律師が、
山を下りていられるので、
ご相談したいことがある。
御息所をお見舞いに行きがてら、
行ってくる」

と雲井雁には、
通り一遍の見舞いのように、
言いこしらえて出た。

大げさな行列にせず、
親しく使う者五、六人。

山荘は仮の宿ながら、
上品に住みなしていられる。

寝殿とおぼしき建物の、
東に修法の壇を設け、
御息所は北の廂に、
宮は西面にいられる。

物の怪が御息所を苦しめ、
宮に移ったりしては、
と都にとどまるように、
おすすめしたのだが、
母君に離れるのはいやだと、
宮が強いてついて来られた。

それゆえ、
宮は御息所とは、
少し離れたところにいられた。

来客を通すところもないので、
夕霧は宮のお居間の、
御簾の前に通された。

宮は奥のほうに、
そっと坐っていられるが、
何しろ仮の宿りとて、
狭く浅い奥行きの部屋、
宮のご気配はつい近くに、
感じられる。

夕霧は魂も、
あこがれ出るように思った。






          


(次回へ)

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