・ところで経房の君が、
この隠れ家へ来られたのは、
中宮側の情報をもたらして下さる、
ためである
「今日、
御前に参るといい風情だったなあ
女房の装束は秋にふさわしく、
少しの乱れもありませんでした」
「御簾の内へお入りになったの?
どなたかの」
「ちがいますよ
こちらから見えたのです
御簾の端っこのあいた所から
寸分のすきもない、
装束をきちんとつけて、
静かに居並んでお仕えしている、
内裏にいられたころより、
いっそう礼儀正しくしていらっしゃる、
皆さんです」
そんな話の好きな経房の君は、
心地よげだった
「それから何やかやと、
話をしているうちに、
誰からともなく、
あなたの噂になりましてね」
「どうせ悪口でしょう」
「おやおや、
聞こえていたんですか」
と経房の君は笑われて、
「いや、それは嘘
ほんとうはあなたのことを、
みんななつかしがっていましたよ
宿下りが長すぎるって
早く会いたいって」
「本心かどうですか」
「おやおや、
この頃どうなすったんです、
拗ねてしまわれて
あなたが早く出仕しないと、
中宮さまもお淋しそうだし、
何よりこんなご境遇で、
侘び住まいしていられる、
中宮さまのお側を、
あなたが離れていられるはずがない、
あんまりつれなく長い宿下りを、
していられるのが、
中宮さまも物足りないと・・・」
「どなたですの
そんなことをいうなんて、
白々しいわ」
「ま、誰だっていいじゃないですか、
ともかく、
口々にそういっていられました
あれはきっと、
私の口からあなたに伝えてほしい、
ということなんでしょうね
皆さんがたは多分、
私があなたの隠れ家を知っていると、
にらんでいられるのですよ」
「だからこそ、
そんなことをいうんです
あなたがお帰りになったあと、
また悪口いってますわよ」
「まあまあ」
経房の君は、
私のように怒りっぽくないので、
やさしい笑みを浮かべられる
中宮のお使いは、
実をいうと三条の留守宅へ、
しばしばそっと来ていた
中宮のご直筆ではないけれど、
「早く参るように」
という勿体ない仰せである
でも私は邸にいないように見せて、
ただ留守番の者に、
「承りました」
とだけ言わせていた
私は朋輩のうっとうしい感情に、
もみくちゃにされるよりは、
経房の君のような、
男友達とつきあっているほうが、
いまのところはよかった
それに私はこのごろ、
やっと書き出している
あの「春はあけぼの草子」である
右衛門の君は、
「あの日のこと」は、
一切口外すまいと言い合った、
と自慢らしくいったけれど、
私の書く「春はあけぼの草子」だって、
悲しいこと辛いことは書いていない
いや、
私の書くものを読んでもらえば、
悲しいことも辛いことも忘れ、
「かがやく日の宮」としての、
中宮のおん姿ばかり、
印象にとどめられる、
それだけの力はあるはずだ
いや、
そうなっていなければ、
いけない
でも一つ、
心にかかること
それは中宮のお気持ちを、
押し測って私がひそかに、
苦しんでいること
それは、
主上に新しい女御が入内された、
ということだった
「ねえ、
弘徽殿の新女御は、
どういう方ですか・・・
主上のおぼえめでたくて、
いらっしゃるの」
という時、
私は女御に嫉妬していた
中宮になりかわって
「こんど顕光の大臣の姫も、
お入りになりますよ
これは承香殿の女御と、
もうしあげるらしい」
「やっぱり・・・」
「しかし主上はおとなでいらっしゃる
弘徽殿の女御も、
ひととおりお扱いになって、
うとうとしくなく、
というところでいらっしゃるようです
母君、東三条女院は、
どなたでもいい、
御子をもうけられた方に、
肩入れいたしましょう、
と仰せられていると、
噂に聞いています
でも、主上は、
新しい女御がたが、
入内されるにつけても、
中宮を恋しくお思いになるらしい、
と
主上づきの女房から聞きました
ほら、あの右近が、
そっと教えてくれたんですよ」
「そうでししょうとも」
私は心が明るんで嬉しかった
「中宮さまは、
それをご存じかしら?」
「きっと主上と中宮の間には、
人知れずお文のやりとりが、
あるにちがいないですよ」
「そうね、
私たちが心配することは、
ないかもしれない」
私は経房の君が帰られても、
心の弾みが失せやらず、
ついおそくまで灯をともして、
筆を走らせるのだった
この隠れ家を訪れる、
もう一人の男は、
ここを見つけてくれた則光である
この男は三条の邸と同じように、
ここへ来るとくつろぎ、
かつ、今も私を、
妻のように扱う
「めしはあるか、
酒は?」
などいって、
女童の小雪をあわてさせる
則光には、
私の居所を誰にも、
知らせないで、と、
かたくいってあるのだが、
「宰相の中将が参内されてね、
昨日のことだよ」
宰相の中将とは、
斉信卿のことである
参議に昇進なさったので、
以前、頭の中将でいらした、
ときのように毎日、
内裏にはいらっしゃらない
斉信卿とも仲がよかったのに、
もうずいぶん長くお会いしていない
「斉信卿が言われるんだ
『則光、お前はお兄さまだろ、
妹のいる所を知らぬわけは、
あるまい
言えよ』
としつこく言われるのには、
参ったよ」
「それで言ったの、
ここを」
「いわないよ、
口止めされているもの」
則光は口をとがらせていう
「ところがしつこく問われるんで、
困っちまった、おれ
うそがつけないところへ持ってきて、
身におぼえあることを、
知らぬ顔で通すには、
ずいぶん心苦しいことだよ」
「絶対、ここのこと、
いっちゃだめよ」
(次回へ)