むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

36、御法 ③

2024年04月01日 08時29分28秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・紫の上の側近く仕えた人々は、
みな夢うつつのように、
ぼんやりして、
頼りになる者もいない。

源氏は心を取り直して、
葬儀の指図をした。

昔も悲しい死別には、
たくさん遭ってきた。

しかし、
自身、手を下して、
葬儀の差配をするのは、
初めてであった。

しかも最愛の人の・・・

過去にも未来にも、
二度とこんな辛い思いは、
しないだろうと源氏は思う。

その日、
葬送が行われた。

いつまでも、
亡骸をとどめておくことは、
できないのだ。

はるばると広い鳥辺野の、
野辺送りであった。

人や車がいっぱい立ち並んで、
いかめしい儀式だった。

その中を、
紫の上は煙となって、
たちのぼっていった。

源氏は宙を踏む心地で、
人にたすけられて歩む。

(もろともに死んだ。
あれが息絶えたとき、
自分もまた死んだ。
私の人生は終わった)

源氏はそう思いつつ、
よろめきあゆむ。

そのさまを見て、
あんなに尊い身分の方が、
とみな泣く。

源氏は昔、
夕霧の母、葵の上を、
亡くしたときのことを覚えている。

あのときは今より、
正気が残っていた。

葬送の野に、
月が出ていたことを覚えている。

しかし、
今宵は涙のために、
もはや何も目に入らぬ、
無明の闇。

亡くなったのは十四日で、
野辺送りは十五日の明け方。

日が明るく昇り、
あたりをくまなく照らす。

源氏は、
かくも明るい世の中に、
生きる気はしない。

紫の上に死におくれて、
いつまで生きられようか。

出家したいと思うが、
妻に死なれて心弱くなった、
と噂されるのもわずらわしく、

(ここ当分を過ごして)

と思う。

夕霧も忌にこもって、
朝夕、父の側を去らず、
心からなぐさめた。

定めの四十九日の法事も、
何につけ悲しいばかり。

源氏は寝ても起きても、
涙の乾く間はない。

いつ夜が明け、
いつ日が暮れたかも、
おぼつかなかった。

すべてに恵まれた身の上、
のように見えながら、
何度幼いころより、
死別生別を重ねてきたことか。

母君、
祖母君、
父帝、
そして夕顔、
葵の上、
藤壺中宮、

仏は世の無常を知れ、
とおさとしになったのだ。

かのひとを失って、
もはやなんのこの世に、
思い残すことがあろうか。

すぐさま世を捨て、
出家したいが、
こうも悲しみに心乱れていては、
仏道修行も難しいであろう。

どうかこの嘆きを、
少しは忘れさせたまえと、
源氏はひたすら念じる。

御所をはじめ、
弔問は数多くあったが、
源氏は、
出家の決心を固めているので、
何ごとも耳に入らず、
目にも止まらなかった。

親友の大臣からも、
心こめた見舞いがあった。

源氏は丁重に返事をし、
礼を伝えた。

亡き紫の上は、
不思議なほど、
どんな人にも慕われ、
敬愛され、
好意を持たれたひとであった。

側近く仕えていた女房の中には、
悲しみのやり場がなく、
尼となろうとする者もいた。

冷泉院(源氏の実子)の后の宮、
(亡き六條御息所の姫君)からも、
お文が届けられた。

「亡きかたは、
春がお好きでいらっしゃいました。
ものみな枯れ果てる秋の、
野辺の侘びしさをお厭いに、
なったのでしょうか。
まことにその通りに思われます」

源氏はくり返しそれを眺め、
風雅を解する、
たしなみ深い人、
今はこの宮だけが、
残っていらっしゃると思う。

源氏の身辺から、
そういう存在は、
一人ずつ消えてゆく。






          


(了)

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