・サナエが戻って来た時、
私はあちこちへ電話をかけている最中だった。
「サナエさん、あんたのいう、清水寅吉さんいう人はな、
白髪で小太りで、体のこなしが柔らかい人と違いますか?
愛想ようて京都弁で」
「まあ、その通りですわ」
サナエはギョッとした顔色である。
「ちょいとしたカンが当たっただけ・・・
サナエさん、これは二つ所帯を持ってる男ですよ。
私ゃ、そうにらむわね。
清水寅吉さんは別に家庭を持っていたんでしょうよ。
それをふみよさんに隠し通していたんかもしれへんねえ・・・」
「まあ、怪しからぬ男じゃございませんか」
「二つ所帯を張っていく、それにはおカネもある程度ないと。
今日びのこと、二つの所帯を張るのは大変。
これは大どこの商店の旦那やなあ、と思ったの。
そうなると、
浅草の袋物問屋、フクマルの社長が米山寅太郎いうやないの」
「ではその人が、天王山トンネルで事故死した・・・?」
「いいや、フクマルの社長、米山寅太郎は今年の春、
東京で病死しています。葬式も東京であったそうや」
「じゃ、別人じゃありませんか」
「それにしても、幽霊なんておりませんよ」
~~~
・そこへ、大学生の泰クンから電話がある。
「いま、図書館です。
二年前の新聞記事によると、上り線で事故が起きています」
私は受話器を置き、サナエに言う。
「名神高速の犠牲者は大阪から京都へ向かっていたんですよ。
もし、寅吉さんが夕方、西宮の家に帰るとすれば、逆方向じゃないの」
「それじゃ、あの屍体は誰なんでしょう?」
「ふみよさんは動転して他人を寅吉さんと思い込んだのかもしれへん。
主人と思い込んだ屍体も他に誰も申し出ず、そのままになったようね」
「すると、私が浅草で会ったのはやっぱり清水さん、
つまり米山寅太郎さん」
「そう」
「ですけど、二重生活を三十年もやって、何てえげつない男でしょう。
浅草の本宅では妻子をダマし、こっちではふみよさんをダマして・・・」
「まあまあ、どっちが本宅やったか、
おかげで清水さんは自分の葬式出されてしまうわ、
以後、二度とふみよさんに会いに行かれへんようになってしもて」
~~~
・十一月中旬のお天気のいい日、
私とサナエはふみよさんを誘ってあだし野へ出かけた。
嵯峨野は今がシーズン。
祇王寺の紅葉を愛でつつあだし野念仏寺へ向かう。
石仏の間に坐り込んでいた婦人が私たちの方へやってきた。
大柄な婦人で薄茶のスーツ、婦人は東京弁である。
「いいところですわねえ。
娘のころに来たばかりで、何十年ぶりですわ」
この人も、
ふみよさんのように昔の思い出をあたために来たのであろうか。
片手にカメラをさげているところは、
ちょうど『旅情』のキャサリン・ヘップバーンを、
もひとつオバンにした風情。
「あのう、こちらの方でいらっしゃいますか?」
「はあ、大阪でございますが」サナエが答える。
「京都では、お茶漬けの代わりに水漬けを食べますの?」
「水漬け?」私とサナエは顔を見合わす。
「私の主人は、京都の出身でした。
水漬けめしが大好きで、いつもサラサラとかきこむんです」
「・・・」
「それでいうんですよ、
京の東山に立つと水漬けの音がさわさわと聞こえるなんて」
「はあ、ねえ・・・さわさわ、ねえ」
「それって京都の冗談なんですか?」
「それであのう、ご主人さまはご一緒ではないのですか?」
サナエが聞く。
「主人はこの春亡くなりましてね」
婦人は平静な口調である。
「亡くなる時に、『嵯峨野、あだし野・・・よかったなあ』
といって亡くなったのですよ。京都の人でしてね、
仕事が忙しいばかりに、ゆっくり京都にも来れなくて・・・
それで主人の好きだった場所を撮って、仏壇に供えようと」
パチパチうつしている。
私とサナエは、
「サナエさん・・・」「はい奥さま」
「あの人が東京のご本宅の」
「私もそう考えていたんでございます」
「世の中って面白いわねえ」
「悪くはございませんね」
「このことはふみよさんには永久に・・・」
「それはもう・・・」
紅葉の下で。
(了)