むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

7、女の子の育て方 ②

2022年07月11日 13時32分08秒 | 田辺聖子・エッセー集










・私が子育て論を書きたいと思ったもう一つの理由は、
まさに、娘の育て方にある。

現代(昭和五十年代、
現在BSで再放送中の「芋たこなんきん」と同時代)
においては女の子の育て方は、
男の子の育て方より、深い混迷の中にある。

いまは、女の子のほうがずっと生きむずかしい世の中、
しかし、そのかわり、男の子の何倍もの、
深い歓びを味わえる生き方ができるのではないか。

さまざまの可能性のあること、
男の子よりずっとチャンスが多い、といえそうだ。

その部分に全く気付かず、
世の男親、女親の多くは、

「女の子だから進学はほどほどに・・・」

「なんたって女の子の進路は、
そう気をつかわなくてすむ」

などといっている。

私はそういう人たちの言葉を聞くたび、
(せっかくの人生の楽しみ、
神様のすばらしい贈り物の価値に気付かず、
それをおろそかに使い捨ててしまうのだなあ)
と心淋しく思わずにはいられない。

私は、男の子と女の子で育て方をちがえる、
というやりかたには賛成ではない。

人間としての成熟に手をかす方法に、
男女差別があってはいいわけではない。

社会生活にとけこめるように躾ける、
それも男女同権であるべき。

しかしまだまだ日本社会では、
女の子の育て方は、
ある部分でやたら余計な圧力が加わり、
ある部分では必要以上になおざりにされている。

それで、私は女の子の育て方を考えてみたいのである。

女の子はさまざまのチャンスがあり、
夢があること男の子以上である。

その子の持って生まれた特性を充分活かせるよう、
才なり徳なりが開花するようにみちびいてやれば、
これから先の社会で、
女の子はどれほどみのり多い人生を送れるか、
しれはしない。

「女の子は、いずれヨメにいってしまうから、
それを思うと、力を入れるのもつまらなくて」

という親がいるが、
それならヨメになどやらなければよい、
という考えで育ててみるといい。

女の子を育てる時、
なぜ日本の親は、まず将来の結婚を、
子育ての根本命題に据えるのだろうか。

女の子から「いずれ結婚するのだから」
という大前提をとってしまえば、
どんなに身軽でいきいきするかしれない。

結婚みたいなもの、
いつだってできるのだ。

誰だってできるのだから、
何十年も先のことを今からバカの一つ覚えに、
唱えることはない。

幼いうちから男の子も女の子もいっしょに、
家の手伝いをさせる、ということはぜひ躾けてほしい。

男の子に皿洗いもさせず、
洗濯機の使い方もさせず、
お使いもさせず、
庭掃除もさせず、
そういうもろもろの家庭の雑事は、
女の子ばかりにさせる、
あれも一切、やめてほしい。

勉強がどうのこうの、
なんてこと知ったこっちゃない。
(このへんが、自分で子育てしていない人間の強みで、
言えることである)

少々の成績より、
自分で生活できる力を持っていることが、
人間の強みである。

ごはんは台所から湧いて出るものではなく、
茶碗は勝手に流しへいってきれいになるものではない、
ということを子供のうちから、
男女ともに叩き込んでいただきたい。

その方が男の子にも女の子にも将来、
身について役に立つのだ。

「男の子は、末は大臣になるかもしれないのだから、
皿洗いなどさせられない」

という親もいるだろうが、
何をアホなこというてはりますか、
というところである。

みそ汁の一つもすぐ作れて、
ごはんを炊いて、
即席のうまい食事くらい作れる大臣でなければ、
少なくとも、

「今は忙しいが、若い時はやっていたから、
作ろうと思えばやりますよ」

という男でなければ大臣なんかさせられない。






          


(次回へ)

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