むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「19」 ③

2024年11月23日 08時57分31秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・中宮がご出産された若宮は、
すこやかな姫宮さまだった

(皇子さまだったらよかったのに)

という人、

(いや、この多難なとき、
姫宮のほうがかえってよかった)

という人もあり、
私はそれよりも、
主上のお使いが矢のように、
繁く来るのが嬉しかった

暮れのあわただしい中、
姫宮の産養が行われる

右近の内侍が参って、
さまざまの儀式を行った

故・道隆公ご在世であれば、
主上はじめてのおん子のご誕生に、
どんなに花やいだことであろうか

それでも白一色の衣に変った邸内は、
にわかに生き生きした気配が、
よみがえり、私たちは喜んだ

お産が軽かったのも嬉しいし、
姫宮がおすこやかで、
美しくいられるのも嬉しかった

なんとまあ、
力強いお声で泣かれるものか、
私は久しぶりに遠い昔、
則光の子の吉祥丸を、
抱いたときのことを思い出した

あの時吉祥は六カ月だったけれど

姫宮の泣き声は、
邸内から今年中の不吉を、
吹き払ってしまうように、
すがすがとめでたい

まったく長徳二年という、
この年は悪いこと続きであった

伊周(これちか)の君、
隆家の君、
そのほかのご一族の不幸、
流人となって流されなすったかと思うと、
二条のお邸は火災に遭うし、
母君の貴子の上は亡くなられるし、
弘徽殿、承香殿と、
女御はお二方も入内なさるし、
定子中宮にとっては、
お辛い日々であったと思われるが、
それもこれも、
姫宮のご誕生でいっぺんに、
消えてしまった

「お美しいこの宮さまを、
主上にお目にかけることが、
できたら・・・
女院(主上の母君)も、
お心にかけていらして、
お喜びでいらっしゃるそうで、
ございます
はじめての孫の君ですもの」

と右近はいった

右近は主上のご信任あつい女房で、
中宮や私とも心安い仲だから、
今までもひそかにお見舞いに、
来てくれていたが、
このたびは公式のご用で、
遣わされたので、
人目を忍ぶこともなかった

「筑紫にも但馬にも、
さぞ若宮をゆかしくお思いでしょう、
けれど、
やはりそれは主上がいちばんで、
いらっしゃいましょう」

右近は七日まで泊まっているので、
夜々私たちにそんな話をする

「かわいそうに、
あの人は自分の罪咎でもないのに、
一族のために苦労させられて、
思いもかけぬ尼にさせてしまった」

と主上は、
取り返しがつかぬように、
思い悩んでいられるとか

「いいえ、
中宮さまは尼姿では、
いらっしゃいませんよ」

と私がいっても、
右近は、
それを単なる気安めと、
とったらしくて、

「尼姿になられては、
今後、参内されることは、
はばかられるし、
さりとて主上は中宮に、
お会いになりたがられて、
日夜、恋しく思われ、
そっとお涙を拭いていられるときも、
ありますのよ
女院もお慰めになるのですが、
さすが大殿(道長の君)への、
思惑もおありで、
お悩みでございます」

右近はそういうのだった

新女御たちの、
弘徽殿、承香殿の御殿でも、
中宮は尼になって、
世を捨てられた、
主上のご寵愛をこれからは、
こちらが競おう、
という意気込みで、
振い立っていられるそうな

そして、
左大臣の道長の君のお邸では、
一日も早く、
彰子姫を入内させたいと、
姫のご成長を引き延ばす思いで、
待っていられるそうな

中宮が尼になられた、
という噂は、
左大臣のお邸から出ているらしい

「いいえ、
それは違いますわよ
お髪もそのままの俗体で、
いらっしゃいますわ」

と私が打ち消しても、
右近は不思議そうに、

「でも、五月一日のあの日、
たしかにお手ずから、
お髪を下ろされた、
とお聞きしていますもの・・・
あのあと、
ご連絡にたびたび参りましたときも
やっぱりご落飾のご様子に、
拝見しましたわ・・・」

というのであった

五月一日の、
あの運命の日の話になると、
周囲の女房たちは、
ぴたりと口をつぐむ

現場にいなかった私は、
何ともいえない上に、
長いあいだ中宮のお側を離れていた

そのころのお姿、
どういうお気持ちでいらしたか、
自信をもって私は断言できない

しかし私が何十日かぶりで、
中宮の御前へ出仕したとき、
全く昔のままだった

俗世の執着を断ち切って、
仏門へ入った人の明るさではなく、
この世を生きる、
人間の明るさだった

(故父君がご在世であれば、
ご誕生の祝賀も花やかに)

(故母君のご不幸が、
もう二ヵ月遅ければ、
姫宮のご誕生をごらんになり、
せめてものお心なぐさめに、
喜んで逝かれたかも、
わかりませんわね)

というのへ、
中宮はうなずかれるが、
決してそれを自分からは、
仰せられない

右近から手紙が来て、
あのあと、宮中へ参内すると、
主上が待ちかねていられた、
というありさまが、
こまごまと綴ってあった

「どうであった
それから・・・それから・・・」

とせきこんで、
お尋ねがあったそうな

それからそれへと申しあげると、

「そうか」

と主上は涙ぐんでいられたよし

「お美しい姫宮でいらっしゃいました」

と申しあげると、

「見たいなあ」

と深い嘆息を洩らされて、

「昔は皇女が生まれられて、
七つ、八つになるまで、
ご対面はなかったそうだけれど、
今は、そんなしきたりは、
すたれているというではないか
東宮の方では、
生まれられた若宮をおそばに置き、
東宮みずからお抱きになって、
可愛がっていられるようだ
東宮一家が水入らずで、
楽しんでいられるのが、
うらやましい
自分たち親子は、
いつになったら会えるのやら・・・
まして中宮が、
尼になられたとすると、
もう二度とお目にかかれないかも、
しれないね」

主上はひたすら、
中宮とお生まれになった姫宮を、
恋しく思われるようであった






          


(次回へ)

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