むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

11、女どうし ①

2022年07月26日 08時18分28秒 | 田辺聖子・エッセー集










・私の身辺に若い娘がいて、
私はこの子にここ数年、
学資を出したり援助したり、
という関係なのだが、まあしかし、
いろいろ考えさせられることがある。

この娘は京都のさる私大へはいった。

社会なんとか、という勉強をするという。
私は本人に任せ、何の口出しもしなかった。

ただ、せっかく京都へ遊学したのだから、
京都の町をよく見て、いろんな場所に馴染み、
さまざまのものを吸収してほしいと示唆した。

女子大生ばかりのアパートに入り、
彼女は元気に大学へ通いはじめる。

落ち着くと今度は、
アルバイトに精を出しはじめた。

それもホテルだかレストランだか、
とにかく客に料理を運ぶバイトなのだ。

学資も生活費も、
窮屈でない程度に私は送っているつもりだったが、
若い者はお小遣いが欲しいらしい。

しかもそのバイトであると、
晩ごはんにもありつけて好都合だという。

私のオバサン的発想からいえば、
レストランで料理を運んでそこばくの報酬を得るよりは、
京都の町のあちこちに馴染んで、
思う存分、古都の雰囲気を満喫するほうが、
ずっと若い時代の栄養になると思うのだ。

せっかく人生二度とない青春を、
しかも京都というような、
ふところの深い町で過ごしながら、
実に勿体ない浪費というべきであろう。

王朝の世がまだ息づいている古都、
しかもどこもよく手入れされ、
長い年月の磨きをかけられて、
どの場所もロマンを湛えている町、
そのつもりで探訪すれば、
さながら生きた古典というような町、
この町の四季の風物、人情は、大学四年くらいでは、
とても汲みつくせほど深い。

私はそういうことを言い、
かつ、学生時代ほど時間がたっぷりある時はないのだから、
と言い添えもした。

ところが、ついに在学中ずっとバイトに精出して、
京都の町を知らぬまま卒業している。

その代わりに、
片手でサラダフォークとサラダスプーンを操作して、
客の皿に取り分ける技術だけ巧くなっている。

なさけない。

「でも忙しかったんだ、これで。
勉強も忙しかったし、ね」

と彼女は弁解していた。

ただしかし、大学四年をトータルして、

「やっぱり大学へいってよかった。
友達も出来たし、私、うんと青春を楽しんだ」

という。

まあそれならそれで結構である。

バイト暮らしの青春も、
それなりに現代っ子にとっては、
得るところがあったのかもしれない。

それはいいが、
いざ就職!というときになって周章狼狽、
女子にはさっぱり求人がない。

「なんで?」

「どうして?」

というのが、うろたえきった彼女の、
呆然たる疑問である。

女の子は勤め口がないよ、
と私がかねて言っていることも、
右から左へ抜けている。

これは当人の迂愚、女子大生の世間知らず、
という以上に、学校と社会の落差が、
男子学生より女子学生のほうに大きいからである。

学校では男女共学だから、
そのノビノビした人生が、
そのまま社会へ出ても通じるように思い込む。

しかし、男子学生に求人はあっても、
そのおこぼれさえ女子には廻ってこない。

「どこもないんだ、どうしよう。
しょうがないから、英語でももう少しやってみる。
就職に有利かもしれないから」

というので、やれやれ、
私はまた生活費と月謝を払わされる。

秋になってやっと私の知人に口を利いてもらって、
小さい会社へもぐりこむが、
薄給だからとても独立できない。

「お願い、家賃だけ援助して下さい」

ということになる。

まだそのほかに四季の衣類も自分で買えない。

そのくせ、電話、テレビ、冷蔵庫を持ち、
ボーナスが出るとスキーだ登山だと、
シッカリ、遊びに行く。

ボーナスを貯めて家賃の足しにしよう、
という気はないらしい。






          


(次回へ)

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