・私の身辺に若い娘がいて、
私はこの子にここ数年、
学資を出したり援助したり、
という関係なのだが、まあしかし、
いろいろ考えさせられることがある。
この娘は京都のさる私大へはいった。
社会なんとか、という勉強をするという。
私は本人に任せ、何の口出しもしなかった。
ただ、せっかく京都へ遊学したのだから、
京都の町をよく見て、いろんな場所に馴染み、
さまざまのものを吸収してほしいと示唆した。
女子大生ばかりのアパートに入り、
彼女は元気に大学へ通いはじめる。
落ち着くと今度は、
アルバイトに精を出しはじめた。
それもホテルだかレストランだか、
とにかく客に料理を運ぶバイトなのだ。
学資も生活費も、
窮屈でない程度に私は送っているつもりだったが、
若い者はお小遣いが欲しいらしい。
しかもそのバイトであると、
晩ごはんにもありつけて好都合だという。
私のオバサン的発想からいえば、
レストランで料理を運んでそこばくの報酬を得るよりは、
京都の町のあちこちに馴染んで、
思う存分、古都の雰囲気を満喫するほうが、
ずっと若い時代の栄養になると思うのだ。
せっかく人生二度とない青春を、
しかも京都というような、
ふところの深い町で過ごしながら、
実に勿体ない浪費というべきであろう。
王朝の世がまだ息づいている古都、
しかもどこもよく手入れされ、
長い年月の磨きをかけられて、
どの場所もロマンを湛えている町、
そのつもりで探訪すれば、
さながら生きた古典というような町、
この町の四季の風物、人情は、大学四年くらいでは、
とても汲みつくせほど深い。
私はそういうことを言い、
かつ、学生時代ほど時間がたっぷりある時はないのだから、
と言い添えもした。
ところが、ついに在学中ずっとバイトに精出して、
京都の町を知らぬまま卒業している。
その代わりに、
片手でサラダフォークとサラダスプーンを操作して、
客の皿に取り分ける技術だけ巧くなっている。
なさけない。
「でも忙しかったんだ、これで。
勉強も忙しかったし、ね」
と彼女は弁解していた。
ただしかし、大学四年をトータルして、
「やっぱり大学へいってよかった。
友達も出来たし、私、うんと青春を楽しんだ」
という。
まあそれならそれで結構である。
バイト暮らしの青春も、
それなりに現代っ子にとっては、
得るところがあったのかもしれない。
それはいいが、
いざ就職!というときになって周章狼狽、
女子にはさっぱり求人がない。
「なんで?」
「どうして?」
というのが、うろたえきった彼女の、
呆然たる疑問である。
女の子は勤め口がないよ、
と私がかねて言っていることも、
右から左へ抜けている。
これは当人の迂愚、女子大生の世間知らず、
という以上に、学校と社会の落差が、
男子学生より女子学生のほうに大きいからである。
学校では男女共学だから、
そのノビノビした人生が、
そのまま社会へ出ても通じるように思い込む。
しかし、男子学生に求人はあっても、
そのおこぼれさえ女子には廻ってこない。
「どこもないんだ、どうしよう。
しょうがないから、英語でももう少しやってみる。
就職に有利かもしれないから」
というので、やれやれ、
私はまた生活費と月謝を払わされる。
秋になってやっと私の知人に口を利いてもらって、
小さい会社へもぐりこむが、
薄給だからとても独立できない。
「お願い、家賃だけ援助して下さい」
ということになる。
まだそのほかに四季の衣類も自分で買えない。
そのくせ、電話、テレビ、冷蔵庫を持ち、
ボーナスが出るとスキーだ登山だと、
シッカリ、遊びに行く。
ボーナスを貯めて家賃の足しにしよう、
という気はないらしい。
(次回へ)