・満々と水はたたえられ、
陸橋を渡って塔門を入ると、
十メートルちかい幅の五百メートルもの長さの敷石の参道が、
何重もの回廊にとりまかれた中央祠堂に向かって伸びている。
左右には、大蛇の胴をかたどる欄干があり、
その端は七つの頭をもたげた蛇の彫刻となる。
殿堂は砂岩だというが、
鉄丹の色、黒褐色、墨色、などに染まっている。
歳月のカビ、密林のシミ、
それらが石の色をくすませているのであろう。
ここの回廊は、寛永九年(1632年)の、
森本右近太夫の落書きがあることで有名だが、
それは今でもあざやかに残っていた。
回廊をめぐり、急な階段を上り、下り、
浮彫りの舞姫や神々、阿修羅の戦闘を見たりする。
やがておのずから回廊と階段にみちびかれ、
中央祠堂の暗い天井の下に立っている。
蝙蝠の糞尿の悪臭が石に浸みつき音は反響し、
回廊の外の強い陽光さえも、
ここでは夢幻のようである。
私たちのほかは一人の観光客もいない。
そこから遠くないアンコールトムでは、
森のあちこちにまだ発掘が続けられ、
自動車も何台か停まっていた。
点在する遺跡の間をゆく観光客もいたが、
その姿もやがて木々の間に露出した仏像や、
首のない座像にかくれてしまう。
バイヨン廟の前には、
積み木を崩したように壊れた石材がごろごろし、
塔には四面、人面像がついていて、
分厚い唇、幅広い鼻で、にんまりと笑う。
階段を上り下りして、
高みのテラスによじ登ったと思ったら、
またしても塔に囲まれ、前後左右、高低さまざまの、
巨大な人面にせまられる。
カンボジアはどこへ行っても微笑に取り巻かれるが、
この像は暖かみのある微笑の中に、
どこかしら途方もない、未知のある暗さ、
自身でも予測のつかぬ情熱のうとましさをもてあました、
というような微笑である。
謎めいた微笑。
その巨大な人面は、
長方形の石を無数に組み合わせて、
モザイクのようになっている。
フロマージュという熱帯樹に、
荒された建物の階段をあやうく伝い歩いて、
自分が二メートルもある人面像の下に、
圧しつぶされたような思いになる。
その上にしんと広がる深い空。
シェムレアプの町は、
グランドホテルだけが目立ち、
すぐに高床の倉庫のような家々や、
ニッパ椰子の葉で葺いた小屋が続く。
川にはアヒルが人と共に水浴びして、
寺院の仏には花が供えられていた。
学校には子供が集まり、
木々に赤い花がぽたぽたと咲き、
女たちは幼い子を横抱きにする。
子供たちはみなよく太って、
黒い瞳に力と光があり、
かわいかった。
町の目抜き通りでは宝くじを売っていて、
男たちが群れていた。
木陰に母と小さい娘がいて、
台の上の竹籠にサクーと呼ぶ筍の一種を盛って売っている。
人差し指くらいのものを茹でたのを、
四つ五つ串にさして、一リエル、十円くらい、
食べたら小芋のようでうすら甘かった。
女の子にシャープペンシルをあげると、
お礼に学校の本を声たてて読んでくれた。
私がカメラを向けると、
母親は、ちょっと待って、というふうに制して、
唾をつけた指で、少女の髪をととのえるのであった。
村の理髪店にもシアヌーク殿下の写真が飾ってあった。
飢えを知らぬ国、といわれるカンボシアは、
人々の表情が底抜けに人よさそうで、
おっとりしていた。
トンレサップ湖は魚と米をたっぷり、
カンボジアに恵む。
楽土だ。
人間の楽土はこういう土地をいうのだ、
と私は思った。
アンコールワットという、すばらしい文化を守って、
平和に繁栄してほしい。
この楽土の風物は、
アンコールワットの大芸術にも、
まさるではないかと思った。
しかしその楽土は1970年、
ロン・ノル将軍のクーデターでやぶれた。
内藤泰子さん一家が任地のワルシャワから戻った72年、
すでにカンボジアは変わり果てていたという。
そして75年、ポル・ポト政権が、
カンボジアを恐怖一色にぬりつぶしてしまう。
私はバイヨン廟の人面像の微笑の謎を、
思わないではいられなかった。
奇蹟の生還を果たされた内藤泰子さんは、
その後幸福な再婚をされたが、
いたましいことに最近亡くなられたという。
けれど夢にまで見た祖国で、
愛する人々に看取られて亡くなられたのは、
ある意味、幸せだったかもしれない。
平和を欲しながら破壊をくりかえすのは、
人間の「業」というものかもしれない。
カンボジアよ、
よみがえってほしい。
アンコールよ、
永遠であってほしい。
カンボジアを心から愛する異郷人が、
そう願っていることを知ってほしい。
(了)