むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

10、私が愛するカンボジア ④

2022年07月25日 08時27分33秒 | 田辺聖子・エッセー集










・満々と水はたたえられ、
陸橋を渡って塔門を入ると、
十メートルちかい幅の五百メートルもの長さの敷石の参道が、
何重もの回廊にとりまかれた中央祠堂に向かって伸びている。

左右には、大蛇の胴をかたどる欄干があり、
その端は七つの頭をもたげた蛇の彫刻となる。

殿堂は砂岩だというが、
鉄丹の色、黒褐色、墨色、などに染まっている。

歳月のカビ、密林のシミ、
それらが石の色をくすませているのであろう。

ここの回廊は、寛永九年(1632年)の、
森本右近太夫の落書きがあることで有名だが、
それは今でもあざやかに残っていた。

回廊をめぐり、急な階段を上り、下り、
浮彫りの舞姫や神々、阿修羅の戦闘を見たりする。

やがておのずから回廊と階段にみちびかれ、
中央祠堂の暗い天井の下に立っている。

蝙蝠の糞尿の悪臭が石に浸みつき音は反響し、
回廊の外の強い陽光さえも、
ここでは夢幻のようである。

私たちのほかは一人の観光客もいない。

そこから遠くないアンコールトムでは、
森のあちこちにまだ発掘が続けられ、
自動車も何台か停まっていた。

点在する遺跡の間をゆく観光客もいたが、
その姿もやがて木々の間に露出した仏像や、
首のない座像にかくれてしまう。

バイヨン廟の前には、
積み木を崩したように壊れた石材がごろごろし、
塔には四面、人面像がついていて、
分厚い唇、幅広い鼻で、にんまりと笑う。

階段を上り下りして、
高みのテラスによじ登ったと思ったら、
またしても塔に囲まれ、前後左右、高低さまざまの、
巨大な人面にせまられる。

カンボジアはどこへ行っても微笑に取り巻かれるが、
この像は暖かみのある微笑の中に、
どこかしら途方もない、未知のある暗さ、
自身でも予測のつかぬ情熱のうとましさをもてあました、
というような微笑である。

謎めいた微笑。

その巨大な人面は、
長方形の石を無数に組み合わせて、
モザイクのようになっている。

フロマージュという熱帯樹に、
荒された建物の階段をあやうく伝い歩いて、
自分が二メートルもある人面像の下に、
圧しつぶされたような思いになる。

その上にしんと広がる深い空。

シェムレアプの町は、
グランドホテルだけが目立ち、
すぐに高床の倉庫のような家々や、
ニッパ椰子の葉で葺いた小屋が続く。

川にはアヒルが人と共に水浴びして、
寺院の仏には花が供えられていた。

学校には子供が集まり、
木々に赤い花がぽたぽたと咲き、
女たちは幼い子を横抱きにする。

子供たちはみなよく太って、
黒い瞳に力と光があり、
かわいかった。

町の目抜き通りでは宝くじを売っていて、
男たちが群れていた。

木陰に母と小さい娘がいて、
台の上の竹籠にサクーと呼ぶ筍の一種を盛って売っている。

人差し指くらいのものを茹でたのを、
四つ五つ串にさして、一リエル、十円くらい、
食べたら小芋のようでうすら甘かった。

女の子にシャープペンシルをあげると、
お礼に学校の本を声たてて読んでくれた。

私がカメラを向けると、
母親は、ちょっと待って、というふうに制して、
唾をつけた指で、少女の髪をととのえるのであった。

村の理髪店にもシアヌーク殿下の写真が飾ってあった。

飢えを知らぬ国、といわれるカンボシアは、
人々の表情が底抜けに人よさそうで、
おっとりしていた。

トンレサップ湖は魚と米をたっぷり、
カンボジアに恵む。

楽土だ。

人間の楽土はこういう土地をいうのだ、
と私は思った。

アンコールワットという、すばらしい文化を守って、
平和に繁栄してほしい。

この楽土の風物は、
アンコールワットの大芸術にも、
まさるではないかと思った。

しかしその楽土は1970年、
ロン・ノル将軍のクーデターでやぶれた。

内藤泰子さん一家が任地のワルシャワから戻った72年、
すでにカンボジアは変わり果てていたという。

そして75年、ポル・ポト政権が、
カンボジアを恐怖一色にぬりつぶしてしまう。

私はバイヨン廟の人面像の微笑の謎を、
思わないではいられなかった。

奇蹟の生還を果たされた内藤泰子さんは、
その後幸福な再婚をされたが、
いたましいことに最近亡くなられたという。

けれど夢にまで見た祖国で、
愛する人々に看取られて亡くなられたのは、
ある意味、幸せだったかもしれない。

平和を欲しながら破壊をくりかえすのは、
人間の「業」というものかもしれない。

カンボジアよ、
よみがえってほしい。

アンコールよ、
永遠であってほしい。

カンボジアを心から愛する異郷人が、
そう願っていることを知ってほしい。






          


(了)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 10、わが愛するカンボジア ③ | トップ | 11、女どうし ① »
最新の画像もっと見る

田辺聖子・エッセー集」カテゴリの最新記事