2002年(平成14年)
・1月8日(火)
ミドちゃんと葬儀の手はずを決める。
葬儀社が来てくれて、いろんなことが決まってゆく。
キタノさんが丁度、来て下さっていたので、いろんな相談。
「マスコミ関係から問い合わせがあるはずやから、
そちらの手配はぼくが」とキタノさん。
M君やいろんな男友達が、
「いうてや、用事、何でもするデ」と電話やら病室への伝言。
M君は、彼のかわいがっていた子で、長いつき合いゆえ、辛そうだった。
彼はまだ保っている。
・1月9日(水)
彼はまぶたの上にガーゼ、点滴、
酸素マスクをつけられてあえいでいる。
右手は腫れぼったいが、脈拍は力強い。
しかし、もはや顔に生気はない。
私は側にいて、手を握ってやれるだけ。
まぶたのガーゼが外れたので、
元へ戻そうとすると、瞳が動いた。見えるのかしら。
私は少し頭がぼうっとしていたのか、病室へいつの間にか、
ぎっしり義妹や次女がつめているのにやっと気づき、
「ミッコちゃん、家が遠いんやから、早く帰んなさいよ」
などと言っていた。
「お父さん、聞こえてる?
ユウコです。みんなここにいるよ」と長女。
涙ぐんでる子はいるが、すすり泣きなんかは聞こえない。
「パパ。ハッピーエンドじゃない?これって」
と私は胸の中で彼にいう。
仔犬の群れみたいだったチビちゃんたちが、
みな中年になり、それぞれの子を引き連れて集まっている。
(しかも、あたしみたいなステキな女と一緒になってさ)
(うっせえ!)彼が言いそうだ。
・1月10日(木)
日経と朝日、一本ずつ出す。
私は書いてる最中は別人格になるので、
結構楽しく筆はすすむ。
今日、文芸春秋のヒワちゃんに電話して、
カモカシリーズの文庫本、どの巻でもいいから、
三百冊送ってもらうよう手配。
葬儀はもちろん仏式だけれど、供花、香典、一切ご辞退。
それよりむしろ、こちらが葬儀に参列して下さった方に、
夫(おっちゃん)の形見、というか記念を差し上げたい。
それには「カモカのおっちゃん」のイラストが、
ふんだんにあふれている、カモカシリーズの文庫本が最適、
と私は思いついたのだ。
弟もミドちゃんも賛成してくれた。
東京のヒワちゃんは、電話でも緊迫感が伝わったらしく、緊張した声で、
「わかりました。きれいな本を選ってそろえて、すぐ、お送りします」
と言ってくれた。
弔辞は藤本義一さんに、依頼した。
尤もギイッちゃんはとても多忙な人なので、
もしXディに大阪に居なければ、誰かが代読、
ということも電話で言う。
「よし、わかった」と藤本さんの力強い返事。
「ありがとう。お願いね。いつも頼りにしてごめんなさい」
持つべきものは旧い友。
病院から呼ばれて夕方行く。
意識はない。一両日中と思われ、
ずっと病院へ詰めるつもりで、荷物を取りに帰ったら、
またすぐ電話。午前二時にタクシーで行く。
・1月12日(土)
U夫人とハヤシさん、二人を頼んでよかった。
交代で家族控室(タタミ敷きの部屋と、ソファを置いた洋室)で、
休みつつ看護してくれる。
伊丹シティホテルにも、私は一室とっておいた。
義弟のカズオさんは家が遠いので、そこに泊ってもらったが、
今朝早く帰った。
自分の病院にも危篤の患者を抱えているので、と、
憔悴した顔でエレベーターを待つ間、私と話す。
「兄貴の臨終に会えなくてもしょうがない、と思います」
「そうね、よく来てくれたわね。
長いこと詰めて下さって、パパも喜んでいるわよ」
「タナベさんも体に気をつけて」
彼は私を、タナベさん、と呼び、
私は、カズオさん、と呼んで何十年。
それで何の不都合もなく、いがみあいもせず、来ている。
時々、カズオさんの奥さんも加え、パパと四人、
家で宴会をして、盛り上がり、パパはよく飲み、よく笑い、
カラオケで唄った。その楽しい写真がいっぱいたまった。
そんな間柄だ。
病室は人、人、人・・・で埋まってる。
長女一家、長男一家、九州の次男、チュウも来た。
見上げるような大男で分別くさい顔になっている。
昏睡状態のパパをのぞきこんで、私は言った。
「喜ぶのにね。チュウの顔を見たら」
「以前(まえ)に来たとき、話もしたから、ええよ」
チュウは落ち着いた声だった。
酸素マスク、体にいろんなチューブを装着されている彼の、
額の汗をぬぐったり、枕の状態を按配してくれるのは、
長女と長男の嫁で、働き盛り、分別盛りの女たち。
四十才代の年ごろの息子、娘、その連れ合いたちの頼もしいこと。
それこそ、私たちが風雪の歳月を生きのび、老いてきた、
生けるしるしあり、というもの。
バトンタッチできる次の世代がそばにいてくれて、
もう、心おきなく「あたしたちも去っていけるもんやわ」
などと彼に向ってしゃべっているうち、ウトウトした。
みんなは控室で寝たほうがいい、とすすめる。
でも私は病室を離れるのは心もとない。
そんなら、と長男と次男が二人で、
病室の隅にイスを二つ寄せ、即席ベッドを作ってくれた。
毛布を拡げたり、枕代わりのクッションを置いてくれたり・・・
昔、学校の先生からの電話で、私はこの子たちをつかまえて叱っていた。
「今日、中間試験なのに、なんで学校休んだの!」だの、
「お弁当代のおつり、ちゃんと返さなきゃ、ダメ!」なんて、
金切り声で叱っていた男の子らが、今は私のベッドを作ってくれて、
「セイコおばちゃん、寝なよ」と言ってくれる。
パパ、こんな世の中になったんだ・・・
彼に話していると涙が出たが、それは悲しいせいではなく、
クスクス笑いの代わりに出る涙だった。
(次回へ)