むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「残花亭日暦」  19

2021年12月20日 09時17分39秒 | 「残花亭日暦」田辺聖子作










2002年(平成14年)

・1月8日(火)

ミドちゃんと葬儀の手はずを決める。
葬儀社が来てくれて、いろんなことが決まってゆく。

キタノさんが丁度、来て下さっていたので、いろんな相談。

「マスコミ関係から問い合わせがあるはずやから、
そちらの手配はぼくが」とキタノさん。

M君やいろんな男友達が、
「いうてや、用事、何でもするデ」と電話やら病室への伝言。
M君は、彼のかわいがっていた子で、長いつき合いゆえ、辛そうだった。

彼はまだ保っている。


・1月9日(水)

彼はまぶたの上にガーゼ、点滴、
酸素マスクをつけられてあえいでいる。

右手は腫れぼったいが、脈拍は力強い。
しかし、もはや顔に生気はない。
私は側にいて、手を握ってやれるだけ。

まぶたのガーゼが外れたので、
元へ戻そうとすると、瞳が動いた。見えるのかしら。

私は少し頭がぼうっとしていたのか、病室へいつの間にか、
ぎっしり義妹や次女がつめているのにやっと気づき、
「ミッコちゃん、家が遠いんやから、早く帰んなさいよ」
などと言っていた。

「お父さん、聞こえてる?
ユウコです。みんなここにいるよ」と長女。

涙ぐんでる子はいるが、すすり泣きなんかは聞こえない。

「パパ。ハッピーエンドじゃない?これって」

と私は胸の中で彼にいう。

仔犬の群れみたいだったチビちゃんたちが、
みな中年になり、それぞれの子を引き連れて集まっている。

(しかも、あたしみたいなステキな女と一緒になってさ)

(うっせえ!)彼が言いそうだ。


・1月10日(木)

日経と朝日、一本ずつ出す。
私は書いてる最中は別人格になるので、
結構楽しく筆はすすむ。

今日、文芸春秋のヒワちゃんに電話して、
カモカシリーズの文庫本、どの巻でもいいから、
三百冊送ってもらうよう手配。

葬儀はもちろん仏式だけれど、供花、香典、一切ご辞退。
それよりむしろ、こちらが葬儀に参列して下さった方に、
夫(おっちゃん)の形見、というか記念を差し上げたい。

それには「カモカのおっちゃん」のイラストが、
ふんだんにあふれている、カモカシリーズの文庫本が最適、
と私は思いついたのだ。
弟もミドちゃんも賛成してくれた。

東京のヒワちゃんは、電話でも緊迫感が伝わったらしく、緊張した声で、
「わかりました。きれいな本を選ってそろえて、すぐ、お送りします」
と言ってくれた。

弔辞は藤本義一さんに、依頼した。
尤もギイッちゃんはとても多忙な人なので、
もしXディに大阪に居なければ、誰かが代読、
ということも電話で言う。

「よし、わかった」と藤本さんの力強い返事。

「ありがとう。お願いね。いつも頼りにしてごめんなさい」

持つべきものは旧い友。

病院から呼ばれて夕方行く。
意識はない。一両日中と思われ、
ずっと病院へ詰めるつもりで、荷物を取りに帰ったら、
またすぐ電話。午前二時にタクシーで行く。


・1月12日(土)

U夫人とハヤシさん、二人を頼んでよかった。
交代で家族控室(タタミ敷きの部屋と、ソファを置いた洋室)で、
休みつつ看護してくれる。

伊丹シティホテルにも、私は一室とっておいた。
義弟のカズオさんは家が遠いので、そこに泊ってもらったが、
今朝早く帰った。

自分の病院にも危篤の患者を抱えているので、と、
憔悴した顔でエレベーターを待つ間、私と話す。

「兄貴の臨終に会えなくてもしょうがない、と思います」

「そうね、よく来てくれたわね。
長いこと詰めて下さって、パパも喜んでいるわよ」

「タナベさんも体に気をつけて」

彼は私を、タナベさん、と呼び、
私は、カズオさん、と呼んで何十年。
それで何の不都合もなく、いがみあいもせず、来ている。

時々、カズオさんの奥さんも加え、パパと四人、
家で宴会をして、盛り上がり、パパはよく飲み、よく笑い、
カラオケで唄った。その楽しい写真がいっぱいたまった。
そんな間柄だ。

病室は人、人、人・・・で埋まってる。
長女一家、長男一家、九州の次男、チュウも来た。

見上げるような大男で分別くさい顔になっている。
昏睡状態のパパをのぞきこんで、私は言った。

「喜ぶのにね。チュウの顔を見たら」

「以前(まえ)に来たとき、話もしたから、ええよ」

チュウは落ち着いた声だった。

酸素マスク、体にいろんなチューブを装着されている彼の、
額の汗をぬぐったり、枕の状態を按配してくれるのは、
長女と長男の嫁で、働き盛り、分別盛りの女たち。

四十才代の年ごろの息子、娘、その連れ合いたちの頼もしいこと。
それこそ、私たちが風雪の歳月を生きのび、老いてきた、
生けるしるしあり、というもの。

バトンタッチできる次の世代がそばにいてくれて、
もう、心おきなく「あたしたちも去っていけるもんやわ」
などと彼に向ってしゃべっているうち、ウトウトした。

みんなは控室で寝たほうがいい、とすすめる。
でも私は病室を離れるのは心もとない。

そんなら、と長男と次男が二人で、
病室の隅にイスを二つ寄せ、即席ベッドを作ってくれた。

毛布を拡げたり、枕代わりのクッションを置いてくれたり・・・
昔、学校の先生からの電話で、私はこの子たちをつかまえて叱っていた。

「今日、中間試験なのに、なんで学校休んだの!」だの、
「お弁当代のおつり、ちゃんと返さなきゃ、ダメ!」なんて、
金切り声で叱っていた男の子らが、今は私のベッドを作ってくれて、

「セイコおばちゃん、寝なよ」と言ってくれる。

パパ、こんな世の中になったんだ・・・
彼に話していると涙が出たが、それは悲しいせいではなく、
クスクス笑いの代わりに出る涙だった。






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「残花亭日暦」  18 | トップ | 「残花亭日暦」  20 »
最新の画像もっと見る

「残花亭日暦」田辺聖子作」カテゴリの最新記事