むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

16、姥雲隠れ  ②

2021年10月09日 08時30分48秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・そろそろ年末が近づき、
正月支度で忙しい思いをしだした矢先、
おトキどんとお政どんが相次いで、
正月の年賀に行かれないと電話してきた。

西条サナエはと思っていると電話があった。
陰気で頂けないサナエの声がやけに朗らかなのだ。

「申しにくいんですが、私、縁談がととのったんですのよ。
トントンと話がまとまりましてね、
まっ先に奥さまにお知らせしました。
あの、比翼会へ思い切って申し込みましたの」

「あんた勇気があるんやねえ」

比翼会は以前私が間違ってまぎれこんだ、
集団見合いの会ではないか。

「だって、奥さま、一人でごはん食べるのが年々淋しくて」

私は少し心配になった。
私に申し込んだ男性は身の回りの世話、
家事をしてもらうためだけに妻を求めていた。

「へえ~、何をなさってた方ですか?トシは?」

「七十ですけども、元高校の国語の先生をしていられて、
歌の会にも入っていらして」

「何を歌うんです?」

「あの、歌人でございますわ。和歌を」

「あんた、歌の素養なんかあったんかいな」

「生まれて初めてですわ。
私、その方に手ほどきされて詠むようになりましたの」

「へ~え」

「あの、作った歌、聞いていただけます?」

サナエは電話口でやや声を張り、

「六十年(むそとせ)の女の幸は遅けれど はじめて胸のとどろきを知る」

私はどう返事していいかわからない。

「頬染めて乙女のごとくうなずきぬ はずかしながら六十にして」

「あんた、たいした歌才やねえ」

「山村先生、あ、その方ですわ。
私の歌は素直でいいとほめて下さいました。
恋は人を詩人にすると先生はおっしゃいましたが、
本当でございますわねえ」

電話を切ってから私は首を振った。
水子霊はどこへ消え去ったものやら。

モヤモヤさんの声を久しぶりに聞く気がした。

なるほど、サナエがそうなるとは、私は毛ほども想像できなんだ。
まあ、サナエのことはよい。

私がさらにモヤモヤさんの悪戯に驚いたのは、
魚谷夫人の件である。

押し迫って魚谷夫人が訪れ、

「実は、あの、ひと月ばかり前に結婚しましたのよ、私」という。

「えっ」

「先方の娘さんも賛成して下さったので、
八十一と七十二、ごめんなさいね、歌子さん、
私、やっぱり八田さんとは縁があるんですわ」

髪がうすかったのに、今はふっくらと栗色に美しく波打っている。

「これ、カツラですのよ。三つ買いました」

おしゃれについては一家言あるつもりの私であるが、
この魚谷さんはおしゃれのせいではない、
もっと深い、生命の化粧水をざぶざぶ浴びたように、
以前とは全く違っている。

「幸福にいっているなら、結構でしたわね」

世の中、熟年の輝きに満ち満ちている。
どうしようもない。正月準備をする気も起こらない。


~~~


・おトキどんやお政どんが来ぬ正月なんて初めてである。
そうだ、一人でこんなところにくすぶっていることはない。

正月に一人でのんびりと温泉にでもつかるというのはどうだろう。
私は日本海側の温泉旅館に電話をかけた。

暮れ近くになっての申し込みなので、ほとんど満員である。
ただ一軒、キャンセルがあって空いていた。

大晦日の朝から出かける。
息子たちに何も言わず出かけた。

山間にかかるころから雪が降りだした。
山も野も雪まみれになっていった。

しっかりと雪の準備はしてきた。

長めのブーツ、暖かなジョッパーズ、キルティングの上衣、
毛糸の帽子とカシミヤのマフラー、
これは中に着ている栗色のカシミヤセーターと共に、
何年か前のイギリス旅行で買ったもの。

それに雪めがね。
荷物の中には活字の大きな本とスケッチブック、
マーカーペン、それに囲碁入門の本。






          


(次回へ)

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