・「なあに、女の子は自分がしっかりしていなくても、
結婚相手の男さえしっかりしていれば」
という親たちもあるだろう。
それは好き好きだからかまわないが、
しかし現実に目を向けてもらいたい。
しっかりした男の庇護は、
どこまで頼れるものであろうか。
海外駐在の商社員の夫人が、
海外生活に溶け込めなくてノイローゼになり、
夫は出世の邪魔とばかり離婚してしまった、
そういう話はよく聞くところである。
順調にきた男たちが、
はからずも転勤とか出向とか単身赴任で、
変調をきたし、うつ病になるケースが多いというのと、
同じである。
女の中にも、結婚しても実家の庇護や支持で、
やっと一人前の格好をつけている大人子供が多い。
こういう未成熟の女たちでも、
体裁だけは一人前だから世間は大人として扱う。
それが馴染みの肌なれした世界にどっぷり浸かっている間は、
ボロがかくされているが、いざ一人立ちして、
その人間の評価が問われるという状況に直面すると、
たちまち崩壊してしまう。
両親はツケを払わされることになる。
誰の助けもない海外だとか、
あるいは夫を不慮の事故で失ったとか、
そういう場合、ヤワな女はたちまち変調をきたす。
それに夫は両親ではない。
夫という生き物は限りなく寛容ではない。
どの夫も内心には飼いならされぬ野獣を、
一匹ずつ棲ませている。
いつ心変わりするか知れない。
いつ妻や子を捨てるか知れない。
変幻自在な男心をかくし持っている。
それは女も同じことだが。
いつも変わらぬ暖かい庇護を、
惜しみなく注いでくれる両親とはわけが違う。
離婚は日常茶飯事となった。
蒸発する男も多い。
女たちが身をかくす穴は、
いつ崩壊するかわからない、
不安定なものになった。
女の子に力をつけてやるとすれば、
自分で穴を掘ってねぐらを作る力、
そして男を愛し男と戦い、女とむつみ女を信じ、
また女と競う力、これである。
女の子が反発すれば、
「女の子は口答えしてはいけない」
とあたまから封じる親たちが多いが、
反発する力は上手にみちびいてほしい。
嵐の中で転覆したボートを、
またひっくり返してすがり、
よじのぼる勇気を養うもとになるかもしれない。
主婦、妻、母、とかいう名と位置に、
かなり庇われている女は多い。
その名と位置をとったとき、
あとには未成熟な、たどたどしい、たよりない、
勇気に乏しい、依存的な、ただのコドモでしかない、
そういう女たちが多い。
社会生活にも適応せず、
人間として練れてもいず、
従って面白みも深みもない、
世間知らずの大きいコドモ。
それが結婚して主婦と呼ばれ、
子供を産んで母と呼ばれる。
日本の社会に、
いつまでも未成熟な点があるのは、
女の子の教育のゆがみからきている。
そういう女たちが育てる男の子も、
未成熟になってしまう。
男と女が同等に学問する機会を与えられたことは、
今世紀最大の進歩の一つである。
せっかくのこの価値を、
みとめていない親が多いのも残念なことである。
学問したい女の子の進学希望を封じ、
男きょうだいの進学を優先する、
ということは、もうやめてもらいたい。
女の子でも勉強したい子にはさせ、
特技を身につけたい子にはつけさせ、
そして一人立ちの力をつけさせる。
それには早く親元から抛りだすことである。
自分を大切にし、身を守る怜悧さは、
女の子自身のうちにある。
それを引き出し、めざめさせてやる。
結婚する、しないはその子の自由にまかせてほしい。
働きたいという女の子は働かせてやればよい。
依存的な女の子に育てると、
結局苦労するのは親であろう。
少々かわいげなくても、
両親の支えの手からはなれて、
一人で歩き去る、
そういう女の子に育ててほしい。
・・・こうして考えてみると、
結局、女の子の育て方も男の子の育て方も、
いっしょなのだ、ということになる。
(了)