「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

35、夕霧 ②

2024年03月21日 08時22分11秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳





(お彼岸の初雪)







・小野の山荘へ、
病気平癒のため移られた、
亡き友柏木の妻、一條の宮の、
母君をお見舞いに参上した夕霧、
宮の気配を感じられて、

「こうしてお見舞いに、
来るようになって、
もう三年になりますのに、
いつまでも他人行儀な、
お取り扱いですね」

御息所への取り次ぎが、
手間取っているすきに、
夕霧は怨むがごとく言う。

夕霧の様子には、
軽々しく取り扱えない威風があり、
女房たちな顔を見合せ、

(やっぱり・・・)

(宮さまに思いをかけて、
いらしたのですね)

(人づてのご返事が、
お気にいらないのです)

と言い合い、宮に、

「あんなにまで、
仰せられますものを、
知らぬ顔で押し通されるのは、
失礼にあたりましょう」

と申し上げる。

宮は、

「母になり代わりまして、
お相手するはずで、
ございましたが、
看病に疲れまして・・・
お許しくださいまし」

とほのかに言われる。

夕霧は居ずまいを正した。

「御息所がご快癒なされば、
宮さまも晴れ晴れなさるであろう、
と思えばこそ、
でございます。
私のお見舞いを、
御息所のためとばかり、
お思い遊ばされましたか。
長の年月、
積もる私の心を、
宮にお認め頂けませぬとは、
くちおしく存ぜられます」

夕方になった。

山かげは小暗く、
ひぐらしがしきりと鳴く。

垣根の撫子が風になびいて、
前栽の花は乱れ咲き、
水音は涼しい。

山風、松のひびき、
それに経を読む僧の声、
鐘の音。

すべてがあわれで、
夕霧は帰る気がしない。

御息所が苦し気にしていられる、
というので女房たちは、
あちらへ参って、
宮のお前は人少なになった。

(心に秘めた思いを、
打ち明けるには、
絶好の機会ではなかろうか)

夕霧はそう思った。

折から霧が、
白々とたちこめてくる。

「帰る道すら、
見えなくなってしまいました。
まるで霧が私を引き止めるような」

と申し上げると、宮は、

「なんの霧がおみ足を、
引き止めますものか・・・
うわのそらなことを、
仰せられるかたなどを」

とつぶやかれる。

夕霧は胸しめつけられる、
思いがして、
いよいよ帰る気を失った。

この年月の抑えきれない、
思慕の念をほのめかす。

宮は今まで全く、
お気づきにならぬ、
でもなかったが、
知らぬ顔を通していられた。

それをかくもはっきりと、
言葉にして怨みをいわれると、
煩わしくお思いになる。

今はもうお返事もなさらない。

夕霧は落胆しつつ、

(思いやりのない、
無礼な男と思われてもままよ、
どうにかして、
思いのたけを今宵は宮に、
お知らせせずにおくものか)

夕霧は供を呼んだ。

「ここの律師に、
ご相談したいことがあるので、
今夜はここに泊まる。
この者、あの者はここに、
随身の男どもは、
近くの荘園へ向かわせよ。
ここで大勢で、
やかましくするな。
こんな旅寝は軽々しいと、
人も噂するだろう」

供の男は、
心得て立った。

「霧で帰る道が見えませぬ。
どこに宿借るも同じことなら、
この御簾のもとを、
お借りしとうございます。
阿闍梨の勤行が終られるまで、
ここに居らせてください」

と夕霧は落ち着いていった。

宮は不快に思われたが、
今さら御息所の方へ、
行ってしまうのも、
わざとらしく思われて、
息をひそめて、
じっとしていられた。






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 35、夕霧 ① | トップ | 35、夕霧 ③ »
最新の画像もっと見る

「新源氏物語」田辺聖子訳」カテゴリの最新記事