2001年(平成13年)
・8月29日(水)
東京、読売ホールで講演。
「源氏物語の世界」
・8月30日(木)
今日もテレビ出演のため、再泊。
ホテル前の坂を上がって行くと、もう秋の風だった。
老母の足と腰痛はどうなったのか?
留守宅に来てくれる人を頼んでいる。
病院のパパはどうだろう?
再検査して良性であればいいが。
誰もみなやっている苦労ではあろうけど、
作戦参謀としてはあれこれ戦術を考えないといけないのである。
<いささかの苦労しましたといいたいが 苦労が聞いたら怒りよるやろ>
ひとりよがりの歌である。
更に大きい苦労が前途に待っているかもしれぬのだ。
・8月31日(金)
午後帰宅してすぐ病院へ。
病状は更によくなく、やはり悪性だった。
・9月4日(火)
夕方、義弟が奥さんを伴って、私を迎えに来た。
ミドちゃんと乗る。
車種は車に疎い私には不明だが、
新しすぎて乗り心地はイマイチ。
しかしそれは、車内にひびくハードな音楽のせいかもしれない。
音量もかなりのものだったが、これは人サマの趣味であるゆえ、
口をさしはさみかねる。
しかし、担当の部長先生の診断結果を聞きに行くという、
ただ今の状況には、少し不釣り合いの気もした。
先生は、腺ガンで悪性と言われる。
レントゲンフィルムを見せて頂いても、よくわからず、
「丸山ワクチンは」と私が言ったら、義弟は、
「いや、F先生にすべて任せて」と言い、
私は義弟を信頼して任せることに。
・9月5日(水)
夏物を秋、冬物と入れ替え。
厚手のパジャマ、長袖シャツを病院へ持って行く。
今日は初めての放射線治療の日。
しかし、さほど疲れたように見えず、
私は桃の果肉を刻んだものをカップにいっぱい入れ、
さじですくって食べさせた。
夫ははっきりした声で聞く。
「いつ帰れるねん。ワシ病気かいな」
マトモな顔でマトモな質問だった。
ほんとにわからないのかしら。
義弟はこの前、病室に入るなり、
夫がにっこりしたというので、
それがとてもうれしかった、と言い、
「あたまは大丈夫やな」と言っていたが、
今日の質問でそれも心もとなく思われる。
私は冗談ではぐらかすことも出来ず、
「そうよ、パパは病気なのよ」と言うと、涙が出てしまった。
パパは考えながら桃を食べている。
彼の習性として、自分の病状に無関心という特徴があるが、
その線上だろうという気もした。
私は気を取り直して、私の描いた画を見せた。
この前、別荘へ行ったときの、黄色コスモスに包まれた山荘の絵。
「どう、きれいでしょう?
また行きましょう。コスモス、散ってるかもしれないけど」
彼は「うん」と言う。
「あたしの絵、いかがですか?」
「天才!」
ミドちゃんは半身をパパに向け、
「あたしはどうですか、大先生」
「凡才」
大笑いする機会を与えられて、私はとても嬉しかった。
・9月8日(土)
夕べ久しぶりにぐっすり眠れて、
やっと心身に力がみなぎるのを覚えた。
6日は神戸の朝日会館で「川柳の世界」というタイトルで講演。
どんな時でもそらでしゃべるのだけど、一応のメモは持って出るが、
そのメモを忘れた。でもいつものようにしゃべれて、
皆さんに喜んでもらえてホッとしたが疲れた。
この頃、老母のため、
夜、そばにいてもらえる人を頼むことにした。
母は寝室にヨソの人がいると寝にくいだのと心配するが、
私が傍についているわけにもいかないので、
人手を確保しておく必要があるのだった。
元気な中年のSさんは、母の拒否にあって戸惑っているが、
山口県出身の由。
母は岡山なので、お国なまりが少し似ている。
母はそれで少しずつ心を開いた。
山陽道の方言の特徴は、粘稠度が高く、抑揚がきつい。
「大体」を「でぇてぇ」と発音する。
Sさんは気のいい人で、
「私は病院ばっかりやったけぇ、家庭は不向きですが」
と言いながら、母の面倒を見たり掃除をしてくれる。
夕食前に来て、朝食前に帰って、昼間の人とバトンタッチする。
私は出張が多いので、これで後顧の憂いなく動ける。
もう、人件費がどうのといっていられない。
とにかく戦時体制に突入したのだ。
昨日、病院へ行くと、パパはわりあい元気で、
食欲があるのが頼みの綱で、食べ物の話をすると、
「カツカレーが食べたい」と。
私とミドちゃんは気持ちが明るんで、
「うん、持って来るね」と弾んだ。
・9月9日(日)
ヤナちゃんの作ってくれたカツカレーを昼に病院に運ぶ。
パパとUさんは喜んで食べてくれた。
何だか気分が明るんで、みんなうまくいくような気がした。
今日はミドちゃんがお休みで、私は空の容器を持ってタクシーで帰った。
病院通いも長くなりそうな気がする。
(次回へ)